〇〇〇〇ちゃんが居ないこの腐敗した世界に堕とされて

もっと「すごーい!」と言われるために生きているのに。


インスタにアップされた後は捨てられる“かわいいアイス”に闇を感じる「ビックリマンチョコの再来」「特典が欲しくて捨てる時代からさらに進化してる」 - Togetter
少し前からちょくちょく燃えているインスタグラム関連の話題についての適当なお話。

カワイイ!と思うようなお菓子はInstagramにアップしてみんなと共有するのが楽しい!と思う女子は少なくありません。
ですが、その裏で撮影された後に捨てられたであろうソフトクリームが大量に発見され物議を醸しています。

インスタにアップされた後は捨てられる“かわいいアイス”に闇を感じる「ビックリマンチョコの再来」「特典が欲しくて捨てる時代からさらに進化してる」 - Togetter

うーん、まぁ、そうねぇ。殊更にこういう人たちが「愚か」なのかというとやっぱりそうではないですよね。むしろ、私たちがいつまで経っても認知・承認欲求や社会のヒエラルキーから縛られ逃れられない悲しい存在なのだなぁと生暖かい気持ちになってしまいます。僕は写真を撮ってアップすることで一体何で満足されるのかまったく解りませんけども、一方でこの駄文日記を8年以上続けてきている理由の少なくない部分だってそれと同じ理由なんだしね。

  • 自分がハイセンスな生活を送っているとみんなにしらしめたーい! 
  • 誰かにすごーいって言ってほしーい! 
    • という素朴なきもち。


それこそアダム・スミス先生が『道徳感情論』が250年以上前から言っているお話ではありますよね。なぜ私たちは生活必需品「だけでなく」それ以上の贅沢品を欲しがってしまうのか? 
――私たちは必要だからというだけで買うのではない、それを買うことによる世間の注目も欲しいのだ。


こうした視点で考えた場合、インスタグラム中毒な人たちが生きていく上で地獄なのは、この「すごーい!」「いいね!」をめぐる戦いに際限がないという点でしょう。全世界規模での幸福実感などの調査でも言われるお話ではありますが、私たちは何も所得等の絶対的基準によって「自分の今の生活が満たされている」と感じているわけじゃない。むしろ周りの人たちと較べてどれだけ幸せかという点でそれを計っている。実際考えてみれば当たり前の話ではありますが、自分が見せびらかすことで得ることの満足は結局は周囲との相対的な差によって決まることが圧倒的に多い。
ところがインターネットを使ってその欲求を満たそうとする以上その比較相手は自分の周囲の友達だけじゃなく事実上世界中(といってもまぁ言語の問題から全日本人というのが正確ではあるだろうけども)になってしまう。そりゃその『熱量』がどこまでも上がっていくのも理解できなくはありませんよね。その果てなき競争は、僕のように興味が無い人たちにとっては既に上記ニュースのようにドン引きレベル一歩手前です。
ちなみにこうしたインスタグラム中毒な人たちが居る一方で、真逆な「消費しない若者」なんて言葉もあり様々な理由が言われていますけども、ぶっちゃけその理由は上記地獄の真逆の地獄としてわざわざ見せたがるほどの知り合いが居ないというオチなんじゃないかと(実体験含めて)考えたりします。




ということで結論としては、やはり承認欲求と(自分がそうありたいと願う)地位を誇示したい私たちが生きるこの荒んだ現代社会で必要なのは、いつでも隣で「すごーい!」と慰めてくれるサーバルちゃん☆5を全員配布すれば解決するのではないかと思います。

こんなおいしそうなモノをたべてるなんて、すごーい!

僕たちはその為に生きているんだしね。つまり資本主義を終わらせるにはサーバルちゃんが居ればワンチャンあるかもしれない。ないかもしれない。


みなさんはいかがお考えでしょうか?