「ともあれ、フクシマは滅ぶに違いないと考える次第である」

現代の大カトーかな?


大炎上したテレビ朝日「ビキニ事件とフクシマ」番組を冷静に検証する(林 智裕) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
「フクシマの未来予想図」が消えて大炎上というお話。本邦マスコミの皆様の変わらぬ風景だろうというと身も蓋もないお話ではありますが、まぁだいたいそんな感じですよね。個人的に気になるのはどうしてそれを書いちゃったのか、という点。別にわざわざ書かなくても、少しだけ原発事故の事が頭に残っていれば実際の繋がりは薄くともそれを勝手に連想してしまうことはそれほど遠くないわけでしょう。特に今は原爆忌のタイミングでもあるわけだし。ところが何故か、「フクシマの未来予想図」なんてモロな副題付けちゃっている。
つまり、これを書いた人は「視聴者は暗喩が通じないほどの心底バカだと思っている」のか、それとも炎上前提ながらそれでもイケると踏んだ本人がバカなのか。

削除の理由については、報道によると「誤解を生じかねないと考え削除することにした」というテレビ朝日のコメントのみが出されており、何故このようなサブタイトルを付けたかなどの説明はもちろん、福島県民に対する謝罪も一切ありませんでした。

そもそも「誤解を生じる」とは、何に対する「誤解」なのでしょう?

視聴者は、なんら「誤解」などしていません。テレビ朝日は、前提条件が全く異なる二つの問題を並べて視聴者の誤解を誘い、被災地への「呪い」をかけようとした──。そのような番組の意図を誰もが正確に読み取ったからこそ、このような騒動を招いたのです。

大炎上したテレビ朝日「ビキニ事件とフクシマ」番組を冷静に検証する(林 智裕) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

ともあれ、今回の大炎上という間抜けな顛末はさて置くとして、しかしこの『フクシマの未来予想図』という副題が意味するところの真の企図は理解できるし、そこまで間違ってないとも思うんですよね。だから上記で筆者の言っている番組の意図ってちょっと違うんじゃないかと。それこそ既に一部マスコミの手による誤解を誘うことで生まれた「呪い」って存在していたわけでしょう。ところがそうした呪いは――少なくとも現地で生活を続ける人たちにとって――幸運なことに時間経過と一部の人たちのひたすら地道な努力によって、解けつつある。
新しく「呪い」を掛けようとしたのではなく、「呪い」が薄れ解けつつあることを防ぎたいだけ。
放射能の危険性を風化させたくない、その恐怖感を人びとに忘れてほしくない。そうした狙いの是非はともかくとして、やっぱり風化させない為に必要なのは何度も繰り返しその恐怖を思い出させることが重要であり、福島の被害を忘れさせないためにこうして何度も繰り返すことはやはり間違ったやり方ではありませんよね。悲しいことに――呪いを解きたくない人たちにとっては都合のいいことに、日本には毎年この時期になると広島長崎の原爆投下があるので、一応その機会は確保することができる。
でもそれもこう毎年何度もやっていてはマンネリ感も否めない。そうだ! 今年はビキニ事件も一緒に乗せちゃおう!
ザ・浅薄。



もういっそ、そこまで忘れさせたくないと考えるならば、無関係な話題だろうと締めくくりに「ともあれ、カルタゴは滅ぶべきであると考える次第である」的なのを付けておけばいいんじゃないかな。21世紀初頭における日本の政治表現として。今回の騒動を見る限り、既にそうした領域に足を踏み入れかけているよね。

ビキニ事件63年目の真実〜ともあれ、フクシマは滅ぶに違いないと考える次第である

実際やってることはコレと大差ないよね。いつか復讐と勝利が来る日を信じて、いつまでもフクシマの呪いを解きたくない人たち。
一体誰に復讐し勝つつもりなのかはわかりませんけども。


みなさんはいかがお考えでしょうか?