そもそも貰うべき「平和賞」を間違えているのではないか

こと核廃絶なら『レーニン平和賞』か『孔子平和賞』辺りをもらった方がワンチャンあるよね。


ノーベル平和賞は「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に - BBCニュース
そういえば今年のノーベル平和賞は「核兵器廃絶国際キャンペーンICAN)」だったそうで。いやぁおめでたいお話ですよね。でも基本的にノーベル賞は、身も蓋もなくその時々の流行(&ノルウェー及び審査委員たちの政治的嗜好)で決まるので、つまりそれだけ核危機が間近にあることの証左でもあって、ただ諸手を挙げて歓迎というワケにもいかないのが悲しいお話ではあります。
北朝鮮が突っ走っているからこそ、彼らが日の目を見ている。

ノーベル委員会のベリト・レイス=アンデルセン委員長は、核兵器を条約で禁止しようとするICANの「画期的な努力」を授賞理由に挙げた。
「私たちは、核兵器使用の危険が、ここしばらくなかったほど高まっている世界に生きています」と委員長は述べ、北朝鮮危機に言及。その上で、核保有国に対して核兵器の段階的な廃絶に向けた交渉を開始するよう呼びかけた。

ノーベル平和賞は「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に - BBCニュース

うーん、まぁ、そうねぇ。そもそも論をすれば、じゃあ核保有国が「交渉」してこなかったのか、というとちゃんと(停滞し半ば諦めているとはいえ)現在進行形で対話してはいるんですよね。それこそCTBTやカットオフ条約など、別にノーベルな人たちに言われるまでもなく彼らだって核保有国の義務として『交渉』を進めようとしていたんですよ。


ただ、どのように交渉するかすら決められなかっただけ。
なんとか交渉できても合意できなかっただけ。
もし合意できても批准できなかっただけ。


うん、コイツらダメだね。核保有国の義務とか言いながら口ばっかりだ。
かのアメリカ大統領であったオバマさんですらノーベル平和賞をもらっても大きな成果*1は残せなかったからこそ、まさにオバマ政権の遺産として、彼らが言う「ここしばらなくなかったほどの」北朝鮮発の核危機としてあるわけだし。
こうなったら市民運動によってビッグウェーブを起こすしかない、というノーベル委員会の狙いは理解できますよね。



実際、国家の核政策が多少なりとも『世論』に影響されてきたのもまた歴史的事実ではあります。
特にビキニ水爆実験は、世界的な反核ビッグウェーブを生んだ代表例なのは間違いなくて、それが核実験禁止(延期)などのアメリカを動かしたと言うことはできるわけで。逆説的にこの前例が教えてくれるのは、例え世界に冠たる『ノーベル平和賞』をもらったところで大きな動員力を持つような熱狂とはなっていない、という点ですよね。もしノーベル平和賞にそれだけの価値があるならば、より大きな市民運動に繋がっているはずで。もちろん劣勢であるからこそ応援という意味も理解できるものの、しかし毎年繰り返され見慣れてしまった「努力への」受賞という無力さ、という面は否定できないでしょう。
――熱狂的な市民運動に繋がっていない現状とはつまり反核兵器運動に「それだけの」価値がない、と見なされてしまっている現実でもある。
これなら中国政府の利害をほとんどそのまま代弁しているだろう『孔子平和賞』あるいはかつての『レーニン平和賞』をもらった方が、まだ政府を直接に動かすという意味で可能性が高いとすら言えるレベルであります。ノルウェーとは違い影響力のある大国であり、まさに核保有国という当事国政府の意向を汲んだモノになる可能性が極めて高いのだから。ワンチャンあったのにソ連はどうしてなくなっちゃったんだ。


ということで、次は今をときめく大国である中国発の『孔子平和賞』を狙えばいいんじゃないかな。あるいはそれを受賞した時こそ、核廃絶が世界的な流れとして進む時代を証明することになるのではないかな。
ICAN孔子平和賞を!」


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:もちろんイランでは成果を残したものの、それは次期大統領であるトランプさんによってひっくり返されてしまいかねない程度の成果、という個人の(民主主義政治の)限界でもある。