「何が重要かを決める」程度の能力をめぐる争い

そのニュース(の重要性)はフェイクである。


社説:きょうから新聞週間 フェイクは民主制を壊す - 毎日新聞
お、トランプ批判かな? 

 報道機関には社会の土台となる正確な情報を提供する責務がある。正しい情報が共有されて初めて、民主主義的な議論が成立する。

 総務省情報通信政策研究所の最新の調査によると、メディアの中で最も信頼度が高かったのは依然、新聞(70・1%)だ。インターネット(33・8%)とは開きがある。

 読者から信頼されるために、私たちはプロフェッショナルであることを自覚し、丹念に真偽を判別し、正しい情報を伝え続けたい。事実の重みは今、いっそう増している。

社説:きょうから新聞週間 フェイクは民主制を壊す - 毎日新聞

ワイワイ言っている本人が実践しているかという致命的な問題はさて置くとして、これ自体はとっても正論ではないかと思います。議論において基本的な土台にすべきソースが間違っていたら、そりゃ『対話』なんて上手くいくはずがないよね。対話する相手の大前提が狂っていて話にならない。ブロックやミュート大好きな私たちが理想論として掲げる『対話』至上主義の、身も蓋もない限界を教えてくれるお話。だから「まず」今すぐ人類に叡智を授ける必要があるのだ。



ともあれ、そんな正論も実は一周回って騙し絵的にトランプ擁護にも見えてしまうのが、このお話のちょっと面白い所だと思います。
トランプ氏、核兵器増強報道のNBCに不快感あらわ−免許剥奪に言及 - Bloomberg
CNN.co.jp : トランプ大統領、NBCの放送免許「剥奪」を示唆
トランプ大統領、NBC放送免許剥奪を示唆 「フェイクニュース」と批判 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
トランプ氏、「10倍の核兵器希望」報道のNBC脅す 免許取り上げに言及 - BBCニュース
実際、フェイク疑惑が出ているこれなんか結局どっちなんでしょうねぇ。最早その真偽ではなく、マスコミの典型的手法でもある「何が重要であるか*1」を決める能力によって報道を受けてのトランプさんの発言の方こそ重要だとしてそちらばかり大きく報道されていますけども、そりゃ放送免許の当事者である君たちはそう言うよね。でもウソのニュースって民主制に致命的じゃないの?

  • NBCの「放送免許の剥奪を議論してもいい頃ではないか」と発言
  • 大統領が核兵器を増やすよう求めたとの報道は完全に誤り−国防長官

一体どちらの点が「より」重要なのか。



トランプさんのメディア批判ってここに行き着くからこそ、少なくない人たちに刺さっているんだと思うんですよね。単純に「メディアが間違っている」というだけじゃなくて、メディアが言うそのアジェンダ=重要性の設定こそズレているのだ、という構図。ヒラリー対トランプなんて、まさにその構図であったし、挙句にトランプさんが勝ってしまったわけで。
右も左も、尊き自分たちなら罪は許されるのだとばかりに『贖宥状』を乱発する現代メディアたち。

 もう一つは、権力者が自分に都合の悪い報道を「フェイク」と決めつけることで、メディアの監視から逃れようとすることだ。この手法を多用している典型例がトランプ米大統領であり、米国の既存メディアの信頼度を低下させている。

社説:きょうから新聞週間 フェイクは民主制を壊す - 毎日新聞

そんなアジェンダ設定について、本来メディアが挑戦してきた政治権力から逆にカウンターで設定され返されている構図。やっぱり端から見る分には面白いよね。メディアという絶対的権威への挑戦。かくして「何が信仰(重要)であるか」が堕落した聖職者たちの手から、無秩序な個人たちの手へ。現代の宗教革命という感じだよね。トランプさんの役割はヘンリー8世あたりかな?


「かの暴君は我々の言う重要事をフェイクニュースだと逃げている」
「いや、堕落したメディアの言っている重要事こそフェイクなのだ」


メディアが批判するフェイクニュースと、フェイクニュースと批判されるメディア。
みなさんはいかがお考えでしょうか?