投票という善行のハードル

民主主義政治の熱心な一信徒としては、折角だし「みんなで投票行こうぜ」日記も書かないとね*1


「投票しろ!だけ言うのは無責任」26歳が作った“頑張らない”選挙情報サイト
うーん、まぁ、そうねぇ。結果が出るかはともかく挑戦としては良いお話だとは思います。
個人的には『投票』についてむつかしく考えなくてはならなくなった社会の空気こそが原因なんじゃないかという感じではありますけども、でも仕方ない面はあるかなぁと諦めてしまう所もあるんですよね。昔は――というか今でもご老人方の多くがそうしているように――それこそ投票に行くだけで「善行」ですらあったのに。別にその一票に込めるモノなんて特になくても、ただそれだけで。実際、しばしば投票に行かない理由として聞かれる「一票じゃ何も変えられない」というのは概ね正論ではあって、しかし、それでも、私たちはたとえ不合理であっても投票へ行く。何故ならそれがただ自己利益ではない公共の利益となると信じているから。


その意味で言うと、上記サイトが目指す下手に情報収集しようとするとむしろ「沼」に嵌ってしまって逆効果感がありそうなのがちょっと辛いよね。いっそ何も考えずに「善行として」とか「見た目」とか「地縁」とか「しがらみ」で投票した方が楽なんじゃないか。

「JAPAN CHOICE」が目指すのは「投票に行く気のない人」の意識を変えることではなく、「選挙に対する意識はあるけれど、日々忙しくて情報収集できていない人たち」だ。

「今回の選挙、よくわからないから行くのやめようと思ってたけど、これざっと読んだら投票できる気がしてきた……という人が少しでもいたらいい」

「投票しろ!だけ言うのは無責任」26歳が作った“頑張らない”選挙情報サイト

広く公共政策といっても、経済金融から社会保障に外交安全保障まで、それはもう色々であります。仮に専門家でも自分の畑において最適解を出すのがせいぜいで各分野の情報や知識なんて掘れば掘るほど深みに嵌って解答など出せないというのが複雑な現代世界でもあるでしょう。


多くの投票行動研究によって分析され事前予想はかなりの精度になっているし、そもそも争点となる専門性の高い政策議題が多すぎる上にその優先順位を付けるのも楽じゃない。挙句には党派分断によって〇〇に投票したら邪悪な政策・政治家を支持するのかと烈火のごとく怒る人いっぱいじゃないですか。直接はそこまで多くはないものの、間接的――そんな風に当選した政治家たちの向こうには確実に多くの有権者たちが居るのにね。しかもそんな怒られる投票先が、しばしば、事実上全候補者でもある。おそらく、そんな風に党派性に染まり過ぎた人たちは建前はともかく「(嫌いな奴に投票されるくらいなら)寝てた方がいい」と答えるんじゃないかな。


かくして素朴だったはずの投票という『善行』のハードルは上がっていく。自分なりにいいと思った人に投票しただけなのにね。良かれと思ってただなんとなく投票したら批判される。そりゃめんどくさくなっちゃいますわ。
でもまぁ別に現代社会では投票に限らず人助けなんかのハードルは高くなってるし、殊更にコレだけを悲劇として扱うのも変なのかもしれない。仕方ないよね。だってバカな政治家に投票するお前らが、不祥事をした政治家に投票するお前らが、独裁する政治家に投票するお前らが、反日の政治家に投票するお前らが悪いんだもん。

そんな彼・彼女が言う「よく考えて投票しよう」の『よく考えて』が意味するところとは何かを答えよ(10点)


ということで、みんな投票に行こうね^^v

*1:でもこうした態度もまた投票率上昇=あるポジションへの利益誘導なのでは、と言われかねない現代社会の闇。