いくら呼んでも帰っては来ないんだ もうあの時代は終わって、君たちも批判と向き合う時なんだ

ポストフェイクニュースの時代を生きていくための心構え。



「フェイクニュースだ」と指摘するメディア攻撃に懸念 | NHKニュース
本邦でも以前話題になったデービッド・ケイさんのありがたいお話について。

この中でケイ氏は、フェイクニュースが政治権力によるメディア攻撃に利用されているとしたうえで、アメリカのトランプ大統領とメディアとの関係を念頭に「ツイッターを使って『フェイクニュースだ』と指摘するメディアへの攻撃は、長期的にはメディアに対する人々の信頼を損ねる否定的な影響をもたらす」と述べ、こうした攻撃がメディアの信頼低下につながりかねないと懸念を示しました。

「フェイクニュースだ」と指摘するメディア攻撃に懸念 | NHKニュース

概ね正論で、でもこれって「メディアがフェイクニュースをほとんど流さない」という大前提があってこそ意味を持つものでしょう。ところがぎっちょん、彼らだって当然間違うことはあるわけで。でもそれはにんげんだものしかたない。フェイクニュースでないのにフェイクニュースというのは論外ではあるものの、実際フェイクニュースを流すことがあるのに、それを指摘できないなんてありえないよね。もちろん昔からミステイクしてきた彼らではありますが、しかしそんなメディアという権威の「失態」の拡散力は、現代では文字通り光の速さとなっている以上、暗数は同じでも目に見える実数は確実に増えている。
今のメディアに対する不信って何も現在進行形のソレというだけでなくて、(拡散力が弱く暗数が多かった)過去にも同様にあった瑕疵がきちんと反省され総括されてこないまま見逃されてきたではないか、という過去の失態に対する不正義への怒りこそが信頼性低下の少なくない部分を占めているんじゃないかって個人的には思ってます。過去の見逃された過去がある(ように見える)からこそ、今の怒りが倍増している。


かくして、昨今彼らが自称するようにメディアを「重要な役割」とすればするほど――それはまさに『政治権力』が重要だからこそ厳密にチェックされるのと同様に――まちがいへの責任追及の空気は強くなっていく。個人的なポジションとしては、民主主義政治におけるメディアの重要さについては同意するしかなくて、しかしだからこそ彼らの失態への責任追及(ついでに説明責任)は重いとも思っています。


現代において、フェイクニュース呼ばわりされるというのは最早不可逆であり、そのこと自体を批判するのってとっても傲慢だなって思うんですよね。そうした追求において上記でいう所の「メディアへの攻撃は、長期的にはメディアに対する人々の信頼を損ねる否定的な影響をもたらす」という指摘は正しい。しかし、だからといってその批判が免除されるというのは、それこそ『政府』への攻撃が信頼性が繋がるとしても許容されるのと同様に、まずありえないよね。
いやもちろん政府批判することを否定する、その権威と秩序を傷つけないよう政府批判を積極的に封殺することをこれまで認めてきたのならば一貫してて理解できる。でも、そんなことしてこなかったよね?


つまり、こんな荒んだ時代でもかつての栄華の時代を取り戻す方法はあって、皮肉なことにそれこそ上記で言及されている中国的手法をメディアに対して取り入れることでもある。
ケイさんは意図しているのかあるいは偶然なのか、権威や秩序を守るために「メディアからの政府批判をゆるさない」という中国的手法の輸出に懸念を示しながらも、信頼性を守ろうと事実上自身もまた「政府からのメディア批判に懸念している」と半ば中国的手法を援用しているのはとっても愉快なお話だよね。ザ・二重基準

ケイ氏はまた、報道や表現の自由の規制が強化されている国としてエジプトやトルコ、ベネズエラなどを挙げたほか、中国がメディアやインターネットでの情報発信を厳しく検閲していることについて、「もっとも心配しているのは、中国が行っている検閲や報道規制のモデルが海外に輸出されることだ」と述べて、こうした中国の検閲が世界に拡大することへの懸念を示しました。

「フェイクニュースだ」と指摘するメディア攻撃に懸念 | NHKニュース

政府批判をアンタッチャブルとする中国的手法を批判する人が、同じ報告書の中でメディア批判に懸念すると言っている。まぁ仕方ないよね。前者な人たちは『政府』を特別な存在だと思っているように、後者な人たちは『メディア』を特別な存在だと思っているんだもん。
どちらも自身の信じるソレこそは、過去と同じように今でも、特別な存在であると信じている。
キルミーベイベー終了のAAでも張っておけばいいんじゃないかな。もうそういう時代は終わったよね。いや、もしかしたら復活するのかもしれませんけど。少なくとも中国はそう信じているし、ケイさんも信じているのかもしれない。


自分たちの信じている権威こそは、この情報革命な時代を生き残るのだ! なんて。


みなさんはいかがお考えでしょうか?