中国的平和

冷戦後の外交を定義したコモンセンスも遠くになりにけり、つつあるのか?


“中国版ノーベル平和賞”今年はフン・セン氏に 南シナ海裁定を批判「偉大な範例」 - 産経ニュース
先日の日記で「平和」ネタに書いていたら、そういえばと先日も少し日記書いた孔子平和賞』のことを思い出しまして。今年は誰だったのかなぁと見てみたら、カンボジアのフン・セン首相だったそうで。うーん、まぁ、誰? とまでは言わないものの、ライバルたる本家ノーベルさんちの今年のICANと較べるとさすがに大分地味、ではあるよね。

 授賞理由について主催団体は、南シナ海問題をめぐる仲裁裁定が出される直前の昨年6月、フン・セン氏が裁定を支持しない立場を示し2国間交渉による解決を呼びかけたと説明。「南シナ海の平和に貢献し、現代の人類平和史における偉大な範例となった」と持ち上げた。国連海洋法条約に基づく仲裁裁定は、南シナ海の大半に主権が及ぶとする中国の主張を退けた。

“中国版ノーベル平和賞”今年はフン・セン氏に 南シナ海裁定を批判「偉大な範例」 - 産経ニュース

ともあれ、しかしこのお話で面白いと思うのは、中国が考える「平和」と私たちが考える「平和」には一見同じ言葉を使っているし基本的には同じ意味を持っているものの、しかしよく見るとお互いにその言葉が表す状況とは一体何を見ているのか異なっている、という構図がよく解るところでしょう。


もちろん私たちは武力や脅迫によらない「国連海洋法条約に基づく仲裁裁定」こそが平和的解決の本命だと思っているわけですけども、しかし中国さんちはほぼ一貫してそんなモノは全く平和的でないと拒否してきた。だからこそ、前者ではなく後者の中国的平和を支持する人にこそ中国は「平和に貢献した人物」としてフン・センさんを挙げたわけでしょう。
――ならば、しばしば国際関係で言及される『平和的解決』とはそもそも一体何なのか?
少なくともこれまでは、私たち日本も属する欧米的世界観こそがグローバルな共通見解として通用してきた。しかし、(一位になるかは別としても)既に経済力では大差をつけての世界第二位の大国である中国によって、それとは違う平和の定義を提示してくる時代となりつつある。


日本・中国・アメリカ、対北朝鮮でASEAN諸国との足並みは - エキサイトニュース(1/2)
最早私たちは、南シナ海で何が平和的な手法であるのかすら、合意できない時代になりつつある。条約と仲裁はまったく平和的解決ではなく、軍事基地を作り占有権ひいては発言力を強化することで平和的に解決するのだと中国は確信している。

Q.その中国とASEAN諸国といえば、南シナ海の領有権問題がかなり根深いと思います。今回の会議では議論されたのでしょうか?

 結局、ほとんど争点にはなりませんでした。今回、話題の中心が北朝鮮になったことは、中国にとっては南シナ海に関する批判を避けられるという点では好都合だったと言えます。南シナ海での主張が仲裁裁判所に退けられてから1年あまり、中国はあらゆる手を使ってASEANの国々を懐柔し、アメリカや日本に対しては「関係のない国は口を出すな」と牽制してきました。

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ザ・中国的平和。


中国が思う平和と、私たちが思う平和。両者は同じ言葉を使っているようで、しかしその中身には確実に違っている。まぁそれってつまり、結局は問題が解決できない=定義の同意すらままならない=『文明』による価値観の差異を埋められない、ということをこれ以上ないほど意味しているんですけども。そして過去の人類の歴史において、そうした価値観の差異をどのように統一してきたのか、どのようにして現在のような欧米的価値観が人類世界の支配的ポジションを占めるようになったのかというと……、うん、まぁ、そうね。
このままずっと両者の価値観の差異は埋まらないかもしれない。もしかしたらそれぞれが歩み寄って平和状態の統一見解が生まれるかもしれない。あるいは、まさに南シナ海の現実が示しているように、どちらかが圧倒的なパワーを持つことで有無を言わせないだけの強制的な定義統一が成されるかもしれない。
果たして南シナ海の『平和』とはどのように決まることになるんでしょうね?


世界が平和でありますように!(誰にとっての、どのような状態が『平和』なのかは言ってない)