平和さえあればいい?

平和か正義か、それとも両方か――は無理そう。


シリア和平会議 ロシアが政治的解決へ強い意欲 | NHKニュース
ロ主導のシリア和平協議、改憲委設置で合意も「限界露呈」 専門家 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
トルコによるアフリーン侵攻等々で尚も燃えつつも、シリア内戦のロシア主導で和平会議があったそうで。

【2月1日 AFP】ロシアのソチ(Sochi)で行われた同国主導のシリア和平協議「シリア国民対話会議」は30日、シリアの憲法改正に向けた委員会を設置することで合意した。専門家らは、シリア反体制派と少数民族クルド人の勢力が出席を拒否した同会議は成果に乏しく、7年に及ぶシリア内戦の解決を目指すロシアの取り組みの限界を露呈したと指摘している。

 ロシア政府は、会議にはシリア社会の代表がすべて出そろうと主張していたが、出席した代表団1400人のほぼ全員が親政権派だった。

ロ主導のシリア和平協議、改憲委設置で合意も「限界露呈」 専門家 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

一世を風靡して退場した『イスラム国』はともかくとして、最早趨勢は決したとはいえ反政府軍にしろクルドにしろ正直まだ余力を残している「戦争中」なので、一気に和平といってもなかなか難しいよね。
そして「ロシア主導」ということはそのまま事実上アサド政権の存続が前提となっていて、つまりそれってこれまでの数々のシリア政府軍の悪行――しかし軍事的にはその手段の選ばなさこそが劣勢にあった政府軍を粘らせ立ち直らせた――に対する『正義』が失われることと同義でもある。軍事的に正しければ、政治的瑕疵は許容されてしまうのか。
シリアに流血のない「平和」状態を作ろうとする動き自体は歓迎できるものの、しかしその現状のままの和平するということは何度もあった化学兵器使用や都市住民をも巻き込んだ無差別攻撃という罪への責任が無かったことになる可能性は、高い。


ああした数々の蛮行が、(国際人道上の)悪でなければもはや悪などない*1


とはいえ国連が参加しているように、そうした正義よりも平和の実現を目指したのは100%同意できる選択ではないものの、しかし現状の惨状を見れば仕方のない結論ではあるかもしれない。逆説的に、反体制派及び欧米の参加拒否ってかなりの面でポジショントークではあるものの、しかしその反発というのはそれと同じく端から見ていて理解できないモノでもありませんよね。おそらくその蛮行への恨み辛みは戦後も続き、シリアにおける将来の禍根となるのは間違いない。
――であるからこそ、二度の大戦を乗り越えた文明的な国際社会として私たちは『人道に対する罪』という概念を生み出し、その罪を(かなり恣意的な事例もあったものの)裁いてきたわけでしょう。このアナーキーな世界における恒久平和実現の為にはただ平和を維持するだけでなく、国際紛争においても正義が実現されると信じられなければ意味がない。そう信じてきたからこそ、ユーゴスラビア紛争などで見られるように冷戦後の国連はより一歩進んだ正義の実現へと進もうとしていた。
しかし、そうした頑なな不正義への怒りこそが、結局は流血の事態を長引かせるのもやはり事実ではある。


ならばアサドさんのように罪ある国家指導者の責任追求を棚上げしてでも、平和を取り戻すべきなのか?
平和の為に正義を後回しにするのは許されるのか? ……ミュンヘン? うっ、アタマが……*2


だからこのシリアの「平和か正義か」というお話って現代の国際関係におけるとっても大事な問題を提起していると思うんですよね。たとえば最近の本邦がずっと直面している北朝鮮の核問題なんかと同様に。私たちは危ういながらも続く極東アジア平和状態を維持するために、北朝鮮の数々の蛮行に目をつぶるべきなのか? 
オバマ大統領以来続くアメリカの後退、そして中国の台頭とロシアの影響力復活によって、これまで私たちが知っていた国際社会における「自由」「人道」「平和」という概念は違うモノになりつつある。
(欧米世界の)国際協調主義の危機であり、(権威主義的な国家たちによる)国際協調の新時代の到来で。ということはこれまでの『正義』ではない別の『正義』の誕生でもある。


平和さえあればいい。それで話が終わっていれば話は簡単だったのにね。しかし悲しいかな世の中それだけでは上手くいかない。私たちのミクロな日常生活ですらしばしば直面するように、その平和状態にもある種の正義が伴わなければ不信感は膨らみ続ける。



ということで、某ラノベのごとく『平和さえあればいい。』な人はすばらしき一国平和主義の日本においては少なくないと思われますが、まぁでも「正義も必要だ(自分たちが何かするとは言ってない)」な欺瞞よりはその開き直りはマシかもしれないね。
国際社会から二重の意味で失われつつある『正義』の行方について。やっぱりそんな『正義』なんてそもそも幻想だろうと身も蓋もないことは言えますけども、それを言ったら本邦でもしばしば恣意的に引用される『国際社会の声』だって幻想でしかないしね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?