The medium is the message

マレーシアは私たちの未来なのか。


マレーシア、偽ニュース取り締まり法成立へ 言論統制の懸念 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
マレーシアで面白い法規制が爆誕したそうで。

下院で可決された法案は当初、当局が偽ニュースと見なした情報の配信者に最高10年の禁錮刑と罰金50万リンギット(約1400万円)を科すとしていたが、政府は激しい非難を受け、禁錮を6年以下に引き下げていた。

 同法案は上院で審議され、国王の承認を経て発効するが、上院は与党連合「国民戦線(Barisan Nasional)」の議員が過半数を占めているため可決は確実とみられる。

 同法が適用される偽ニュースとは、「一部または全てがフェイク」と見なされた情報で、フェイクだと分かった上でそうした情報を流したブロガーやソーシャルメディアでシェアしたユーザー、演説した者などが対象となる。(c)AFP/Patrick LEE

マレーシア、偽ニュース取り締まり法成立へ 言論統制の懸念 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

既に指摘されているように、政府批判をかわすための法案だろうというのは正しい見方なのでしょう。
マレーシアはイスラム化を食い止められるか | グローバルアイ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
まぁマレーシアでの選挙としてはかなり重要な選挙でもあるらしいので、多少なりふり構ってられないのも仕方ないよね。メディアの重要性を理解しているからこそ、こうしているという点では合理的ですらある。


ともあれ、もちろん本邦でも概ね多数を占めるであろう『言論の自由』を支持する私たちにとって、こうした政策は簡単には賛成できないでしょう。いくら信頼性を失いつつある既存マスメディアだって昔から、そして現在進行形でフェイクニュースを流しているだろう、と正論を言ってみても、だからといってこれはあまりにも劇薬すぎる。その意味で言えば、私たち日本を含む西欧文明国家がこの方向性から同じような道をすぐに進むとは考えにくい。
――でもそうした規制が、ソーシャルメディアに限定されると話は違ってくる、かもしれない。
実際、既存マスメディアが「フェイクニュース」という言葉を使うとき、大抵それは「SNSソーシャルメディア)やブログといった非主流メディアによる」というエクスキューズがなされているわけで(そこに自分たちの営為が含まれている前提はほぼ存在しない)。確かにSNSが良くも悪くもニュース拡散に一役買うという構図は正しくて、それは『アラブの春』の顛末や、ウクライナの騒乱に、ミャンマーの内戦、そして賢い中国政府によるSNS規制なんかを見れば、そこに一定以上の効果があるのは間違いない。
フェイスブックはミャンマーで憎悪煽る「けだものになった」=国連報告 - BBCニュース
だからSNSでのフェイクニュースなどを元にした「憎悪扇動」を咎める手法としては、かなり真面目に検討されると思うんですよね。まずはSNSだけに限定しておけば、既存マスメディアの(暗黙の)支持あるいは中立的ポジションを得られる可能性はある。まずは。


もし僕が法規制したい国の当局の中の人だったら、まずネトウヨな人たちのヘイトスピーチを法規制するためだとSNSでのフェイクニュース規制を左派から支持させ、その後に既存マスコミのフェイクニュースを規するためだと右派の支持を得て法規制の枠を拡大するんじゃないかな。これで左右両方からフェイクニュース規制の支持を得ることができる、かもしれない。
それってニーメラーの詩そのままじゃないかというと、まぁ身も蓋もありませんけど。


マスメディアであろうとソーシャルメディアであろうと、結局メディアとはつまりメッセージなのだから。社会を動かそうとするならば、メディアによってメッセージを送ることは必要不可欠である。いや、メディアとはメッセージそのものである。そんなメディアが私たち個人の手にまで降りてきた現代世界。マーシャル・マクルーハン先生の予言通りの世界に生きる私たち。
「Hello,World!」とメッセージを送ることは、最早私たちの日常となった。
毒にも薬にもならないメッセージから、悪意ある言葉に、そして自分が確信した正義の言葉まで。



メディアのフェイクニュースを法で規制することの是非について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?