(人種差別という)歴史の終わり?

始まったのだからいつかは終わるのか。それとも不可逆な禁断の果実なのか。


【UPDATE】原作者が「厨国」などとヘイトツイート。アニメ「二度目の人生を異世界で」声優4人降板
そういえば、米朝会談で世界が盛り上がっている間に本邦ではプチ炎上があったそうで。

まいん氏は過去に韓国や中国のことを「姦国」「厨国」などと記し、「姦国の猿はほんとにシツケが悪いなぁ」「東京五輪出場辞退宣言マダー?」「ケダモノの国」などと投稿していた。

【UPDATE】原作者が「厨国」などとヘイトツイート。アニメ「二度目の人生を異世界で」声優4人降板

うーん、オメガバカ
ただ、悲しいことにこうした言説が現代日本において珍しいかというとそうではないし、もっと言うと「世界的に見て」ヒドいレベルかというと、まぁまったくそんなことないよね。反ユダヤ、反アラブ、反黒人、反イスラムなどと較べれば直接的な暴力表現がないだけ、おとなしいレベルでさえある。悲しいことに世界中にあふれていて珍しくもない迂闊な人たち。
旧軍に関する(広義の)歴史修正という意味でも、それは現代の中欧東欧を中心に結構問題になっていて、日本だけの問題というわけじゃないんですよね。ホロコーストや抵抗運動の歴史についてなるべく触れないようにしよう。悪いのはナチスと「例外的な」支持者だけであり、大多数のドイツ人たちはかわいそうな被害者だったのだ。
ホロコーストに「ポーランド加担」の表現禁止する法案、上院可決 - BBCニュース
その一つの極致がポーランドでもある。「ポーランド人はユダヤ虐殺に手を貸した!」「ポーランドナチスに手を貸した!」というのはヘイトスピーチか? というのはとっても興味深い設問だと個人的には思ってます。「ヘイトスピーチを国で規制しよう!」の末路の典型例という感じ。
ともあれ、かといって、もちろんその相対性だけで愚かさが減じられるわけでもなく、社会の善良な構成員としての振る舞いについて杜撰すぎた彼が少なくとも現代社会においてオメガバカなのはかわりませけど。


でもそれだけじゃ寂しいので以下適当なお話。





アインシュタインの旅行記発見 人種差別的な記述も - BBCニュース
タイミングよく記事がでていたおよそ100年前のアインシュタイン先生の人種観というのを見ると、まぁやっぱり差別観というのは『進歩』しているんだなぁと素朴に思います。
上記の彼はオメガバカだけれども、しかしそれでも100年前の先生よりは大分マシでしょう。おそらく上記のオメガバカな彼はわざわざ露悪的に誤用な意味での確信犯的として(ぶっちゃけると幼稚な)蔑称を使っているのに対して、こちらのアインシュタイン先生の場合はそれはもう率直で正しい意味での確信犯であります。その認識が間違っているという前提すらない。
しかし、現代の私たちはそれを遅れていると認識することができる。
思えば遠くに来たものだ。しかしここに至るまでも当然(おそらくアインシュタインが転向するきっかけの一つであっただろうホロコースト含めて)紆余曲折があり、一直線に進んできたわけではない。欧米政治界で現在進行形で起きている右からのカウンターの動きだって、まさにそういうことでしょう。新たに生まれた一つの規範がそのまま世界的規範となるわけでは絶対にない。当たり前でなかったものが当たり前になるのとは逆に、これまで『禁忌』とされていたはずの学兵器使用といった行為だって簡単に見過ごされるようになったのが現代世界でもあるわけだし。
ということはこれからもうそうした紆余曲折は続き、歴史は終わらないのか? 
それとも私たちはついに人種差別という歴史の終わりの時代に生きているのか?



あるいはピューリタン運動のような行き過ぎた熱狂と混沌の時代扱いをされているかもしれない。自称謙虚な僕としては、どちらが「歴史の正しい側に居る」とまではさすがに言えませんけど。


みなさんはいかがお考えでしょうか?