【悲報】科学また負ける(7年連続)

お、暗黒時代かな?



地元漁業者、海洋放出に反対=トリチウム水めぐり公聴会−資源エネルギー庁小委:時事ドットコム
トリチウム水:海洋放出 福島の漁業者、危機感強く - 毎日新聞
ということでALPS処理水で揉めているそうで。概ねタイトルでオチてる、ので以下駄文日記。

同省や東電は「保管が限界に近づいている」と処理水の海洋放出を念頭に年内に決着したい意向だが、試験操業を重ねてきた福島の漁業者らは「築いた安全への信頼が崩れかねない」とかつてない危機感を強めている。

 「科学者は『海に流せばいい』と簡単に言うが、国民はそれでも今と同じように福島の魚を買ってくれるのですか」。

トリチウム水:海洋放出 福島の漁業者、危機感強く - 毎日新聞

漁業者の無知ではなく、ひたすら「科学は風評には勝てなかったよ……」というお話だよねこれは。漁業者が科学的か否かではなく、消費者の方こそ「科学的だろう」とは最早認識されていない。


つまるところ、この構図には福島に対して「風評を広め続ける人たち」と「風評を止めることができなかった(やる気がなかった)人たち」が居る。みんなはどっちかな?
個人のポジションはともかくとして、発信力という意味で――これは間接的に視聴者が見たいニュースという意味でもある――マスコミのみなさんの責任が一番大きいのは間違いない。何故この2018年に立っても尚こうした福島への「風評」が存続しているか、メディアが「そのように」報道することを望んでいるからでしょう。
その真意がどこにあるかはさておくとして、しかしこうした構図自体は決して珍しいモノではない。それこそ日本に限らず、古今東西メディアはほとんど常に、ある面の一部分を切り取ってそれを繰り返し報道することで私たちの印象を変化させてきたわけだから。何か一つの衝撃的な事件をとりあげて、実際の統計数字には見合わないレベルで「〇〇は危険だ!」と騒ぐメディアたち。
右も、左も、大人も、子供も、おねーさんも、自分のポジショントークに沿う上記における「けしからん」事例を挙げることができるんじゃないでしょうか。
かくして実態に合わないはずのただの印象は強固となり、人々の現実の行動すら変化させ、やがて風評が生まれていく。


面白いというか、皮肉というか、悲劇的というべきか、この光景って『報道の自由』が脅かされているとしばしば批判される日本の報道の健全性――という名の風評被害でもある――が担保されていることの証左でもあるんですよね。それこそお隣の中国のようにもし本当に政権がメディアを支配しているのならば、風評被害で苦しむ人もせいぜい35人で済んだはず*1なのに。
しかし日本はそうではない。まったく政府の要望に沿わないメディアたち。いやまあそこで手段と目的が逆転していないのならば、民主主義政治の根幹を担う『報道の自由』の実態として、それはそれで大変すばらしいとは思いますけど。
――もし、そうじゃなかったらトランプさんなんかが現在進行で用いるフェイクニュース戦術を生みかねない危険性のある、長期的なメディア自殺の道になりかねないんですが。



結果として見れば、助けてもらえなかった福島で漁業に従事する人たち。今年も科学がまた負けたと嘆くことはしても、しかしその現実はその風評を覆せなかった(僕自身を含む)人たちの敗北でもある。ただ単純に合理的行動だけでは説明できない感情の生き物である私たち人間社会の縮図のようなお話ではあります。
それこそ「ほならね、その水お前が飲めって話ですよ」「飲んでやらぁ! ゴクゴク」とコントをやっていた頃*2からまるで成長していない私たち、というと身も蓋もなさ過ぎて泣けてきますけど。
繰り返された報道による言葉の暴力、「福島産」への正しい理解を(1)  WEDGE Infinity(ウェッジ)
でもまぁしかたないよね。大多数の私たちにとって、福島の漁業云々の話より、自分の興味ある他の何かの方が大事なんだもん。そんな矮小な話よりもカッコよく『プロメテウスの罠』とか『フクシマの未来予想図』とかやっていたいんだもん。
さて、この暗黒時代はいつ終わるんでしょうね?
――このネタをやると毎度毎度『逆シャア』でのアムロとシャアの口喧嘩オチにしかならないんですけど。ガンダムって偉大だなあ。人類に叡智が授かるときはくるのか。個人的にはgoogleこそがそれをもたらすだろうと思っていたんですが、実際には大SNS時代到来で、更に人類はイデオロギーという重力の井戸に魂をより縛られるっていうね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?