個人主義が終わるとき

「電気なんていらない」「江戸時代に戻りたい」人たちがいつか辿りつく場所。



「エネルギー源の変化により資本主義社会が大きく変化する」と研究者が予測 - GIGAZINE
面白いお話。まぁ昔からディストピアや(ポスト)アポカリプスネタのフィクションではあるあるなお話ではありますけど。「ヒャッハー!!! 水だー!!!」な世界が現実にやってくるとき。

「やがて低EROIの時代が到来したときどうしたらいいのか?」という疑問に対し、科学者らは「従来の経済レベルを社会が維持することはできないという厳しい現実を、人々が受け入れる必要がある」と答えました。社会全体が必要とする総エネルギー量を削減するため、都市計画は公共交通機関や徒歩を基本としたものにし、社会の地域化を強めて輸送や食糧供給システムの見直しが必要になるそうです。また、新興国でも先進国でも食糧自給率を高め、エネルギーを必要とする食料生産や食糧の輸送に必要なコストを削減しなくてはなりません。

「エネルギー源の変化により資本主義社会が大きく変化する」と研究者が予測 - GIGAZINE

この現代資本主義の終わりって、つまるところ私たちの個人主義の終わりという意味でしょう。ということは、一部の人たちが蛇蝎の如く嫌っているだろう全体主義こそが実は私たちの未来なのかもしれないね。であればこそ(上記リンク先でも言及されているように、再生可能エネルギーだけででは文明的な現代社会を賄いきれそうにない以上)僕は原発にとどまらない核融合発電支持者であります。全体主義よりは個人主義の方がずっといいから。


個人主義の上昇は、歴史的に社会の組織化の上昇と一致する。


この辺は、現代日本社会における都市と田舎、という対比で巷でもよく言われているお話でしょう。
何故、都市部で隣近所の目をまったく気にせず『個人』それだけで生活していけるのか。それは何も都市部の人間と地方の人間になにか根本的なプライバシーや個人情報について興味の差があるわけではなくて、そこにあるのはただただ環境の隔絶なんですよね。都市部に住む私たちは、近隣住人と協力しなくても生きていける、ということでしかない。わざわざ他人の手を借りなくても、(匿名を前提にした)商取引と行政だけで、私たちは最低限度それ以上の文化的生活を送ることができる。
高度に組織化された先進的な現代社会というのは、それを実現できる金銭*1さえあれば、文字通り自分一人で生きていけるんですよ。
一人で生きていけるという展望からあればこそ、そこでは集団や共同体の利益よりも、個人の利益を優先するようになる。例えば自国領土が増えるような『国家の栄光』が実現されたところで、私たち自身の財布が厚くなるわけでもない。それよりも自分の使えるお金が増えた方がずっといい。戦争したって大多数の個人は儲からないもんね。
民主主義と資本主義が根付いた社会では個人主義が生まれ、その帰結として戦争を忌避しできるだけ避けるようになる。ポスト近代の幕開け。
この構図を生むのに別にヘイワケンポーなんて要らないんですよ。全世界において、9条のある日本だけが平和を愛しているのでは絶対にないように。個人主義がきちんと根付くような先進的な文明社会を更に広げていきさえすればいい。そんな経済(個人消費の拡充)を後回しにしながら、ただただ平和だけを訴え実現しようとするのって、日本のリベラルを称する人たちの最も大きな欺瞞だと個人的には思ってます。いやまあ今回の日記ネタのように、そこまで多くのみんなが豊かになるのは不可能だ、と想定しているのならばそれはそれで理解はできる一つの経済思想ではありますけど。好意的に見れば、あるいは先見し未来に備えているのかもしれないね。




ともあれ。つまり、高度に発達した都市部のような環境が未整備な社会ではそうではない。個人主義は前提にはならない。
自分ひとりでは生きていけない故に隣近所と助け合って生きていくのであり、情けは人の為ではないのであり、故に共同体の栄光は重要なのである。
田舎って大変よね。しかしそうした世界観こそが私たち人間の歴史から見ればほとんど常に覆しようのない常識であったことを忘れたり、都市生活をそのまま一般化させるのは傲慢すぎるでしょう。
――ここで重要なのは、(日本でもしばしばその後進性をバカにする言説があったりしますけど)世界から見ればむしろそうした隣近所の助け合いな社会こそが当たり前で、いやむしろ現在でも尚圧倒的大多数であることでしょう。欧米世界ですら『都市部』というのは人口面はともかく、領域という面で見れば一部でしかない。
都市部vs農村部、世界的な政治現象になった断絶 票数で負ける都会のエリート、民主主義に背を向ける恐れ(1/6) | JBpress(日本ビジネスプレス)
民主主義を襲った『部族主義』という病:朝日新聞GLOBE+
トランプ旋風を生み出した、地方と都市部の政治的分断というのは現代政治の最前線のテーマでもあるように、例えばそんな個人主義に対する考え方の違いというのは代表的な一例でもあります。高度に組織化された都市部に住む私たちと、そうではない地域に住む私たち。これまでどうにか上手くやってきたものの、しかしやがて都市生活とその価値観が常識化した結果、同じ国家に住む両者がまるで違う価値観を持つようになっている。それを『部族主義』というのはまあそこまで間違ってはいないものの、でも部族主義こそ人類史のほとんどすべてを占めてきたわけでしょう。


そして、そうした個人主義の根幹にある高度に組織化された都市社会というのはもちろん多大なエネルギー消費を大前提としている。それを支えるだけのエネルギーを負担できなくなったら?


おそらく、そうした社会では再び部族の為の利益が最優先される時代がやってくる。「個人主義」という価値観は後退し、共同体の利益・秩序・安寧こそが最優先される時代が。といってもそれはせいぜい100~200年前に戻るだけで人類史においてこれまでの100年だけが例外であったという事はできるんですけど。

Jarvensivu氏は、「低EROI時代の資本主義は、もはや私たちが想像しているような資本主義ではありません。経済活動は利益追求よりも環境コストを抑えるために行われ、できるだけ上質な生活を均等に供給するために集約されたものになるでしょう」としており、人々は経済的思考を変化させる必要があるかもしれないと語りました。

「エネルギー源の変化により資本主義社会が大きく変化する」と研究者が予測 - GIGAZINE

はたして本当に「均等に」供給できるんでしょうかね? そんな均等といえば共産主義という社会実験をしたことが過去あったような……おっと、これ以上はいけない。どちらにしても変化させるのは経済思考にとどまらない可能性は高い。
これまでありがとうさようなら個人主義。おかえり全体主義


エネルギー危機と資本主義の未来への悲観。そして個人主義の未来について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:その実現可能な金銭の多寡こそが、平平凡凡な市民である私たちの「人生の難易度」を左右する難題でもあるんですけど。故に一般的市民=有権者であればあるほど経済は重要である。It's the economy, stupid!