高価な社屋を建てるより補助金漬けで生きている方がすばらしい?

メディアにとって何が一番大事なものは何か。とりあえず存続すること? それとも自由な編集権?



「ニュース砂漠」が拡大する時代、アメリカでは15年間に1800の新聞が消滅 - GIGAZINE
これこそ比喩でない「民主主義の危機」と呼ぶべきだよねえ。「地方面」でない大きな国内ニュース・国際ニュースであれば他に代用できる先は幾らでもあるものの、ローカルなニュースの多くがこうした日刊紙や週刊紙に頼っているわけで。

UNCメディア&ジャーナリズムスクールでは、最小の市場でも持続可能なニュースビジネスモデルを作り上げられれば、草の根レベルからメディアへの信頼を復活させることができると締めくくっていますが、そんなビジネスモデルがあるなら、すでに起業家が群れをなしているはず……。

「ニュース砂漠」が拡大する時代、アメリカでは15年間に1800の新聞が消滅 - GIGAZINE

このメディア経営のお話でまず一筋縄ではいかないのが、他の多くの非営利なサービス(教育・医療・文化)でやっているような公的な補助金を中心にして存続させていくのが難しいという点だよね。それを安易にやってしまっては権力監視たるメディアの自殺に等しい。でも新聞の軽減税率はセーフなので、その議論にはみんな賛成しような!


ともあれ、そうなると、であればこそ民間資本のチカラでやっていくしかない。ところがこちらでも一筋縄ではいかなくて、そもそも難しいというだけでなく、下手に成功しそうなモデル=上記引用先で指摘しているような「起業家が群れをなす」ような構図が生まれると、今度は企業家(株主)たちが利益追求を求めてメディアとして役割が弱まりかねないということでもあるんですよね。
――儲けなすぎても潰れるし、かといって儲けすぎることはメディアとしての本来の役割から遠ざかることになる。
実際、そうした編集権が奪われた事例がWSJなどで見られた大富豪によるメディア買収の顛末でもあるわけで。かくして彼らは経営カイゼンの為に、より効率的な経営のために編集権の独立が奪われることになる。それでも「買われる」全国紙である彼らはまだマシな方で、こうして大多数の小さな地方紙たちは死に絶え新聞砂漠となっていくと。買われなくても地獄、買われても地獄。


ちなみに、どうにか生きていくことが可能なメディアのビジネスモデルって既に存在していて、それが地方ラジオだったりするんですよね。最小で職員が二人(喋る方と放送する方)いればギリギリやっていける。クルマ社会のアメリカの重要な情報源。まぁそれが地方発のトランプ旋風の下地にもなったんですけど。でもそれを『新聞』が真似をするのはむつかしいよね。
既存の新聞記者たちの失職に繋がると目される、近い将来生まれるだろう「AI記事」がその助けとなるかもしれないけれど、でもそれにはもうちょっと時間が掛かりそう。
帰還不能点を越えるのが先か、技術革新が先か。
私たちが見慣れた(故に見て見ぬフリをしている)人類社会のチキンレースっぽくて、まぁやっぱり「よくある」悲劇ではあるのかなあと。


地方メディアの未来について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?