――けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった

ワタシたちがとりあえず「何も解らぬが激怒してみた」よくある結果。



【フェイクニュースを超えて】 SNSのうわさのせいで焼き殺され、メキシコの小さな町で - BBCニュース
FacebookとWhatsAppのフェイクニュースを信じた群衆によって無実の2人がリンチのすえ火あぶりに - GIGAZINE
よくできた寓話のような悲劇。

しかし、警察署の外にいた群集は、まったく違う話を信じ込んでいた。どこか知らないところででっち上げられ、メッセージ・アプリのワッツアップで拡散された話だ。

「どうか皆さん気をつけて。子供誘拐犯が大勢、この国に入った」というメッセージが、携帯電話から携帯電話へと送られた。

「どうやら犯人たちは、臓器売買にかかわっているらしい。ここ数日で、4歳、8歳、14歳の子供たちが姿を消した。死体になって見つかった子もいる。内臓が抜き取られた形跡があった子もいる。腹部が開かれ、中は空っぽだった」

警察署に近いサン・ビセンテ・ボケロン地区の小学校のそばにいたリカルドさんとアルベルトさんは、恐怖に取り付かれた群集心理から誘拐犯だと決め付けられた。2人の逮捕の知らせは誘拐犯の噂と同じように広まった。

【フェイクニュースを超えて】 SNSのうわさのせいで焼き殺され、メキシコの小さな町で - BBCニュース

といっても既に『3・11』を経た私たち日本人は、このメキシコの愉快な彼らとわりと紙一重の差しかないよなあという悲しい感じはあります。それこそソーシャルメディアだけでなく、既存マスメディアも一緒になってこのメキシコに近い構図を起こした――いやプロメテウスだのホウシャノーが伝染るだのとありもしない危険性を叫ぶ人たちが今も尚居るのが、私たち2018年の現代日本社会でもあるわけでしょう。


この構図は、殊更に私たちが知性として劣っているからこうなったというのではなく、喜ぶべきか悲しむべきか人類普遍の性質なのだろうなあと今は思っています。
個人というよりは『大衆』『群衆』として振る舞いとして。私たちは恐怖心から無分別になり、それが群集心理としてまとまると結果として状況を更に悪化させることが、ままある。おそらく歴史上どこでも何度でも無数に繰り返されてきたパニック的暴走の帰結。
まぁ社会的動物であるにんげんだものね、しかたないよね。
過去の事例よりも現代でより致命的な問題となっているのは、そうやって恐怖心をひろく煽る行為が、過去の社会にあったような一部人間の独占的能力ではなくほとんど誰にでも可能となっている点でしょう。すばらしき未来技術の数々。せいぜい数十年前にはSF扱いされていた社会が今ここにある。



さて置き、ここでそうした(相対的な影響力として)無名の個人による扇動行為が成功するには、まず大前提として行政機関や既存メディアからの情報発信が「信頼されない」という大前提が必要となってくるんですよね。上記メキシコの事例でもある、警察官たちの声明がまったく無視されたように。だからこそ別の真実を用意され、都合のいい話聞かされたとき、一部の人びとはオルタナティブ・ファクトの方へと飛びつくんですよ。
私たちが『3・11』後しばらくの間冷静に検証しようとする専門家・研究者たちが猫も杓子も「御用学者だ!」扱いされていたことを思えば、今回のメキシコの「子供誘拐犯だ!」「臓器売買の犯人だ!」な構図もやっぱり笑えない光景ではあるでしょう。


「ただちに影響はない」なんてウソに決まってる! なんて。


フェイクニュースを批判する既存メディアたちは――もちろんその批判自体は正当でもある――見て見ぬフリを続けていますけども、そもそもそうした「フェイク」が信頼されてしまう背景について言及しないのはまったく片手落ちでしょう。フェイクによる扇動者ただそれだけで成功するわけじゃ絶対にない。それができるのはおそらく歴史に名が残るようなカリスマたちだけであって、大多数はその背景には既存情報源の低信頼性をてこにしてそれを実現するんですよ。私たちも福島の原発事故で、完全な失敗とまではいえないものの、よりベターな方法があっただろうと後悔できる程度には失敗したのだから、
既存メディアのニュースがそもそも信頼されていないから流言飛語が蔓延る余地が生まれ、そして政府行政・法執行機関が信頼されていないからこそ彼らは自分たちの手で正義を執行しようとする。まったく検証されていない情報から生まれた恐怖から逃れるために。
その意味では修羅な国っぷりが語られるメキシコらしいお話だよね。もちろん日本でも1から100まで政府行政機関がウソしか言わないと信じている向きも一部にはあるものの、しかしそれでも大多数の穏健的な日本人の心象としてはさすがにそこまで信頼性が低いわけではない。まあコレも移民が増えたら、今後どうなっていくかは解りませんけども(時事ネタ)。



私たちは群衆になればなるほど情報の扱いにぞんざいになり、同時にまた正義(と表裏一体の恐怖心)に敏感なっていく。
――どちらか一方だけならまだマシだったのにね。しかし悲しいかな人間はそのサガを両方を同時備えている。


その上で「何がこの暴走にGOサインを出したのか?」あるいは逆説的に「どうすればこうした暴走を防げるのか?」を考えると、「人類すべてに叡智を授ける」な夢物語は別として現実的な解の一つとしては、非常時における信頼できる情報提供の徹底をすることしかないと思うんですよね。過不足ない情報の周知。でもそれこそが緊急時対応では一番難しいのだろうというと、まぁその通りだと頷くしかないんですけど。
そしてそもそもこの「信頼できる情報源からのニュース」というのは、非常時ではなくむしろ日常的に醸成されていくものでしょう。その普段からの地道な積み重ねがあってこそ、非常時においても信頼できるニュースだと判断されるわけだから。
であればこそ、この日記の頻出ネタでもある「日常的に広く信頼されているまともなメディア」必要性がより重要になってくるんですよ。そうした信頼できる情報源があればこうした万が一の集団暴走のブレーキとなるはずだから。
信頼できるメディアがあればこそ、健全な民主主義が機能するし、非常時のパニックを防げる。いやあやはりマスメディアって大事だよね。
で、肝心の現下のそのメディアたちの日頃の振る舞いを見ると、……うん、まぁ、そうねえ。非常事態にSNSの方を信じちゃう人たちが一部に出てくるのも無理はないよねレベル、という辺りが正直な感想ではあります。




ちなみに、この件に関してのもう一つのより簡単な解答としては、より強力な暴力を持ってパニックを鎮圧する、なんですよね。非常事態時に秩序を確保する、最も効果的で、最も原始的なやりかた。
女性や子供が難破船上で助かる為のたった一つのさえたやり方 - maukitiの日記
おそらく警察署の前に群衆が集まった時点で「銃を以って」この件に対処していればここまで群集心理が行き着くことはなかった。それも多勢に無勢では意味がないので、より強力な練度を持った部隊を投入することで。少なくとも無実の人をガソリンで丸焼きする魔女狩りまでは防げたはず。
――でもそれって独裁国家や中国なんかがやっていることと何か違うの? と聞かれると、まぁほとんど一緒だよね。社会擾乱を防ぐために群衆を暴力を以って制御しようとする人たち。少なくとも、この点において彼らの手段を選ばないやり方には(たとえ僅かといえど)一理あると言うしかない。
この論理を現実に適用しようとすると、上記のような政府による暴力的『鎮圧』を容認することになりかねない。


ならば一体どうしたらいいんでしょうね? フェイクニュースによって一層増幅される群衆パニックに対処する方法について。
日常的に信頼されるメディアと政府行政法執行機関を生み出すのが先か、あるいはよりお手軽な武力鎮圧へとたどり着いてしまうのが先か。あるいは表現と言論の自由を犠牲にフェイクニュース自体を無かったことにしてもいいですけど。



みなさんはいかがお考えでしょうか?