りょうしゃともにこうどなれべるのたたかい。
「会見は知る権利実践の場」=質問制限で官邸前抗議-マスコミ関係労組:時事ドットコム
ということであっさり沈静化すると思ってた望月さんの騒動は思ったより長引いているそうで。
主催者発表で約600人が参加。現役の記者や国会議員がマイクを握り、「不公正な記者会見のあり方を改め、記者弾圧をやめろ」などとするアピール文を採択した。
「会見は知る権利実践の場」=質問制限で官邸前抗議-マスコミ関係労組:時事ドットコム
望月記者は、定例会見で菅義偉官房長官から「あなたに答える必要はない」などと回答を拒否された。集会では「会見は国民の知る権利を実践する場だ。政権にとって都合のいい広報の場と化していないか」と、政府の姿勢を批判した。
毎日新聞労組の吉永磨美記者(46)は個人の意見とした上で「忖度(そんたく)やおもねりを排して取材するのが記者の仕事。権力と同質になってはいけない」と訴えた。
うーん、まぁ、そうねえ。(中二署名問題を除けば)個人的には争いは同じレベル云々という感じかなあ。
どちらも「お客様は神様だろ!」と自分で言っちゃう寓話っぽさというか。それこそ「国民の代表サマ」というならそれなりの態度でやって欲しいよね。いや、まさにコレこそが日本国民の平均レベルなのだというぐうの音もないほどの正論かもしれませんけど。
ともあれ、そうではなく本命の正論としては騒動が起きてすぐに江川さんがものすごく真っ当なお話【官邸vs東京新聞・望月記者】不毛なバトルの陰で危惧される「報道の自由」の後退 | ビジネスジャーナルをなさっていたので、まぁ構図のまとめとしてはそちらを参照すればいいんじゃないでしょうか。
もともと菅さんと言えば、記者会見で見せるあからさまな「塩対応」こそが特徴でもあり、むしろそういう対応が好きな層から好感さえもたれてもいたわけで。もちろんそれは、しばしば批判されるように、一歩間違えれば権威主義的対応とも言えるんですが。
今回その一線を越えたのかと聞かれると、うーん、やっぱりいつもと同レベルじゃないかなあ。
NZ銃乱射事件で差別的発言の豪議員 生卵投げつけられる | NHKニュース
政治家に卵をぶつける行為を、日本でやる人はそういないだろう(予想) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
まぁ最近話題の、政治家に背後から卵をぶつける動画のように「相手をより怒らし、その反応を衆目に晒させれば成功だ!」という文字通りお子様なレベルのジャーナリズムをやりたいならば――それこそ欧米メディアでも見られる光景ではあるし――それはそれで一つのやり方ではあるので止めることはできませんけども。
もういっそ望月さんは卵ぶつけたりトマトや靴でも投げたりすれば、より菅さんを怒らせることができるんじゃないかな。
ともあれ、今回の件でおもしろいのは、『記者クラブ』に属する彼らがダブルバインドというか二律背反な状態に陥っているという点でしょう。
- もし仮に望月さんのように会見で質問がさえぎられたことで「大きな損失がある」のならば、それこそクラブ非加盟で元々参加できていないフリーの記者たちへの公正さを担保できていないことになる。
- 一方で、もしその『記者クラブ』専用のブリーフィングでは重要なニュースなど得られない*1のであれば、それこそスムーズな会見進行だけを至上目的とした菅さんの対応にはそこまで大きな問題はないことになる。
妨害されたとされる記者会見に、意義があるのであれば『記者クラブ』はその閉鎖性の証明であるし、もし意味がないのであれば『記者クラブ』に意味はない。
一体どちらが『記者クラブ』の本質なの?
だからこの問題について、大きなメディアの扱いが小さいとする声があるのも理解できるんですよね。
だって日本のメディアにとってこんなセンシティブな所燃やして大丈夫なの? と端から見ていても心配になるほどです。日本メディア自身にとっての脛の傷にものすごく近い部分の。
官房長官会見は平日に2回開かれるが、ネットメディア(日本インターネット報道協会の加盟社)やフリーランスの記者が出席できるのは原則として金曜日の午後のみ。継続的に官房長官会見に出席している極めてまれなフリーランス記者が、政治ジャーナリストの安積明子氏だ。その安積氏は、今回の集会には批判的だ。
「内閣記者会加盟社の記者とフリーランスの記者では、記事の価値は同じはず。『報道の自由』と言いながら、今回の集会ではこの観点が全く抜け落ちている。報道の自由を享受するのは、記者ではなく国民であるはずなのに、会見に容易に参加できるクラブ加盟社記者の『お友達』を守る『報道の特権の自由』を主張しているに過ぎない」
守りたいのは「報道の特権の自由」? 望月氏のため「立ち上がる」記者たちの陰にメディア間の「分断」 : J-CASTニュース
それこそ一部の人たちが大好きな国連人権委員会の特別報告者であるデービッド・ケイさんも指摘していたように、日本のメディア萎縮を生んでいる要因ってただアベセイケンの横暴だけでなく、記者クラブの閉鎖性にもあると内外から言われ続けている。
いやあやっぱり「争いは同じレベルでしか発生しない」というお話だよねこれは。それも高い次元で。
どちらがより日本のジャーナリズムにとって害悪となっているのか証明でもしたいのかな?
――それを証明した所で、もう一方の責任が減殺されるわけでは絶対にないんですけど。
文字通り日本のジャーナリズムにおける害悪(とされている)二大巨頭が相争っている構図。
強権的振る舞いをするアベ政権と、そして記者クラブ制度について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?
*1:所詮政府から情報を貰ったものをそのままニュースとして流しているだけなので、『知る権利』に値するほどの価値あるニュースはないという意見は昔からある。