新元号は希少価値だ。ステータスだ

思ったより盛り上がったイベントではあったよねえ。



ということで、僕も生まれも育ちもニホンジンのくせに古典漢文には特に教養がないので、迂闊に『令和』についての豆知識を書こうとしても見事に馬脚を現すだけなのでその辺は反面教師たちを見ながら自戒するとして。
元号発表が生前譲位でこんなに楽しいイベントになるとは!お祭り騒ぎ感が楽しくて良いねの声「自粛ムードにあふれて生活や経済に影響があったんだよな」 - Togetter
まぁ感想としてはこの辺りが同意できるお話かなあ。
思い出として振り替えられる前回の事を考えれば、とても巧みに明るい慶事なニュース・イベントに変化させられたのは、すばらしい前例となるのではないでしょうか。それをタイミングよくアベが政権支持浮揚に利用した、というのはまぁそういう面も否定できないとは思いますけども。
一周回って『元号』のよくある使い方に戻ってきた感じ。




ともあれ、不合理な文化ということには同意しますけども、本邦でこうして新元号のニュースが盛り上がっていることに対して天邪鬼に反発――「そんなの世界でガラパゴスな日本だけ」――している様子を見ると*1、まぁ盛り上がる理由としてはまったく逆なのが解っていないなあという気持ちにはなりますよね。
むしろ世界でレアなケースであればあるほど、こうして大きなニュースになるわけで。それは国内的な意味でもそうだし、国際的でも同様に。
犬が人を噛んでもニュースにはならないけれども、人が犬を噛めばニュースになる。
「平成」から「令和」へ 新時代を迎える日本 - BBCニュース
新元号は「令和」、出典は万葉集 写真10枚 国際ニュース:AFPBB News
その意味で言えば、少なくとも報道する側にとって「価値ある」ニュースだったのは間違いないのでしょう。おそらくよっぽどのことがない限りこの先何十年かは次はないだろうし。四年に一度のオリンピックなんて目じゃない希少さであります。


右も左も本邦マスコミについて「(我々が考えるところの)重要なニュースが無視されている」という声は少なくありませんけども、結局何がニュースとなるかってそりゃそのニュースの希少性こそが価値を決めるわけで。
――であればこそ、私たちは日々の悲劇的なニュースにすら飽きていってしまう。シリアで何十万人が死に何百万人が難民となってももう大きなニュースにはならないように。欧米都市でテロリストがただ数人を殺傷させただけではもうもう大きなニュースにはならないように。悲しいかなもうそれらにはニュースバリューがない。
であればこそ、戦場カメラマンやジャーナリストたちはより危険な戦場へ赴くことになるし、同時にテロリストたちはより大きく悲惨な成果を上げようとする。だってそうでなければ最早「ニュース」にならないんだもん。しかたないよね。ただでさえグローバルに情報が集まる現代社会において、平凡なニュースでは耳目を集めることはできないのだ。
アイスケースに入ったりと、バイトでテロして大爆笑()動画を撮影する若者たちとどこまで差があるかと言うと、まぁあんまり違いはないかもしれない。なにものにもなれないニュースたちと私たち。人間社会普遍の論理。




ということで何が受けるニュースとなるのか。今回の新元号のニュースは、改めてそれを私たちに教えてくれたイベントではあったかなあ。ついでに『天皇制度』の私たちの定着の度合いとしても。


令和の時代は、世界が平和でありますように。