「名前を呼んではいけないあの事件」の帰還

30年を経て帰ってきた例のアレ。


【解説】 天安門事件30周年、中国の一大「忘却」事業 - BBCニュース
折角の30周年記念だしもう少しだけ。

実際はどうかといえば、天安門広場での出来事は毎年、忠実に、受け止められている。「忘却」と呼ぶのがふさわしいかもしれない、大々的な国家的取り組みによって。

6月4日に向かって、世界最大の検閲システムはフル回転態勢に入る。自動アルゴリズムと数万人の検閲官がインターネットを徹底的に調べてまわり、天安門事件に関するありとあらゆる言及を削除しまくる。どれほど間接的にぼかした表現でも、容赦はない。

検閲逃れの手口があまりに挑発的過ぎるとみなされれば、禁錮刑もあり得る。今年4月には、「八酒六四」というラベルの中国酒・白酒を販売しようとして2016年に逮捕された香港の男性4人が最長3年半の禁錮刑判決(一部は執行猶予つき)を受けた。

こういう画像をツイッターに投稿するだけで、拘束される可能性がある。そもそもほとんどの中国人は、ツイッターの利用を禁止されているのだが。

数カ月前には私自身、中国当局がいかに徹底的に天安門事件について市民の行動を取り締まるか、目の当たりにした。市民が一切、天安門事件を公に話題にしたり、見える形で追悼しようとしたりしないよう、当局はとことん手を尽くす。

【解説】 天安門事件30周年、中国の一大「忘却」事業 - BBCニュース

面白いというか皮肉というか、この30年間という長い時間において、この事件を忘れたい・忘れようとしていたのが中国政府だけかというとまぁまったくそんなことありませんでしたよね。


こうした中国の努力と同じかそれ以上に、国際社会の私たちは中国のあの「名前を呼んではいけない事件」をアンタッチャブルにしてきたわけで。何しろあの頃は中国が国際社会の一員に、そして責任あるステークホルダーになると楽観的信じていたのだから。
天安門事件30年 中国の国際復帰手助けした日本 国益確保へ問われる戦略 - 産経ニュース
当時の空気としては、自由平等博愛なフランスが強硬だったくらいで*1天皇訪中まで実現させた日本はもちろん英米なども大事にしたくなかった。
隠された(隠せてない)本音は、もちろん中国という巨大国家の市場価値でもあったから仕方ないよね。
故に一部のリベラルな人たちが――まぁ事件そのものが「無かった」というのは言い過ぎにしても――この件をできるだけ触れないようにしていたのはある面ではやはりスタンダードなポジションでもあったんですよね。彼らだけを責めるのはフェアではない。
孤立させるのではなく国際社会の一員に。
むしろ誰もがあの事件は、ただ一発だけの誤射、一時の気の迷いでしかなかったんだ、と世界中のみんなが信じようとしていた。
――ごくごく一部のほんとうに誠実な人権活動家たちや、直接に利害当事者である台湾や香港、あるいは反中ネトウヨな人たちを除けば。


ふらっとときどきぶんだん - maukitiの日記
先日の日記でも書いたように、悲しいかなその中国への楽観と信頼は、失われつつある。
30周年というタイミングもあって、口に出して中国を批判することがもうすっかり『正義』となりつつある。



誰もが忘れたままでいた方が幸せだったのにね。であればこそアレは「名前を呼んではいけないあの事件」扱いされてきたわけだし。
国連事務総長「コメントなし」 天安門事件に | 共同通信
まぁいまでもその教えを忠実に守っている人もいるんですが。おそらく国連はこのままであり、故にこの流れは国連の機能不全を意味することになるのでしょう。やっぱりこれなら忘れていた方がマシだったかもしれないね!


はたして今後の世界の主流意見としてはどちらに向かうことになるのか。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:「1989年6月4日に天安門事件は起こった。その1日前、私はG7サミットの政治部門を担当する企画課長に就任していた。その年、7月14日からフランスが主催するG7サミットが予定されていた。自由と人権を象徴するフランス革命200周年の年だというので、フランスはすぐにこの事件を人権問題として大々的に取り上げることを決定した。」天安門事件から30年、中国に「民主主義」は来ないのか?:日経ビジネス電子版