「Present at the Creation」から「Present at the Destruction」へ

70年前のアチソンのあの感慨から、思えば遠くにきたものだ。


韓国と「友人」であることは諦めた方がいい 「ホワイト国」除外で見えた深い溝 | 文春オンライン
さすが研究者だけあってかなり理解しやすい現状の概説かなあと。
日韓関係についてはともかくとして、韓国にとどまらない世界的な「ガラポン」現象についてのくだりが特に興味深かったです。

 この「現行秩序=旧体制」を「ガラガラポンしたい」という思いは、韓国にとどまらないでしょう。

 日本はいつまでも国連憲章において依然として「敵国」ですし、安全保障理事会常任理事国にも入れない。中国は、広い太平洋を前に、いつまでこの狭い海岸線に押し込められているのかと不満です。アメリカが、安全保障でも経済でも「世界全体を支えるのは無理だ」と宣言しているのも、同じ流れの話です。

韓国と「友人」であることは諦めた方がいい 「ホワイト国」除外で見えた深い溝 | 文春オンライン

国際関係論における代表的な世界観の一つである、世界を「現状打破主義」と「現状維持主義」とする見方について。
個人的には日本についてはあまりそちら側だとは思っていないんですが、まぁ確かに(軍国主義化かはともかくとして「普通の国」を目指そうとしているのはその通りかもしれない)概ね同意するしかない世界的な状況ではあります。


それこそ韓国どころではない、その筆頭こそ、まさに我らがトランプでもあるわけだし。
戦後の共有されてきたルールと多国間システムが時代遅れだと見なされるようになった現状。


もちろんこのトレンドは、何もいきなりトランプ政権誕生とと共に始まったわけでは絶対にないわけで。
それこそ子ブッシュ政権時代のアフガニスタンイラクで、そしてオバマ政権時代から既に始まっていた南シナ海での中国の振る舞いの看過、ウクライナで見せたクリミアやマレーシア機撃墜でのロシアの振る舞いの看過、あるいはシリアで見せた化学兵器使用に際してのグダグダな対応は、そのまま現状の「戦後システムの破綻」という認識に繋がってきたことは間違いないでしょう。


そうした流れは私たちに直接かかわる事柄としても、日韓の間にあった『共通の原則』も――どちらが先に始めたのかはともかくとして――消えつつある。
共有のルールが無くなるということは、次はお互いの『正義』同士の戦いとなってしまう。その争いには果てがないからこそ、私たちは(共有された)紛争解決のルールを決めてきたはずなのにね。
文明が衝突してしまわないように。
――しかしまさに日韓の現状を見ていれば解るように、私たちの間では最早その紛争時の際のルールの合意すら怪しくなっているように見える。


アチソンらの才覚によって生まれた戦後世界を定義づけた多国間システムのおわり。
私たちはいまそれに立ち会っている、のだろうか?


みなさんはいかがお考えでしょうか?