私たちミクロな個人にとっての「自由な社会」の存在証明の一例

台風だったし手抜き日記。


新卒でエンジニアとして入社したCygamesを退職しました(消えてる)
なんかものすごいバズってるアレ。リアル古戦場かな? いやむしろ開発がコレだから古戦場という文化が生まれたのか。
ネットでは消しても短期的には意味がないし、むしろ悪化する、という事例がまたひとつ。


うーん、まぁ、そうねえ。個人的にはサイゲのゲームはシャドバを卒業してから離れてましたけど、少し前に始めたプリコネは現在進行形で概ね楽しくやっている水着サレンおりゃん……のでまったく他人事というワケでもないかなあ。
まさかの王雀孫出てきて俺つば民も大歓喜です。ハゲもっと仕事しろ。


ともあれ、今回のお話で「サイゲ炎上ヒャッハー詫び石はよ!」という野次馬根性はともかくとして、しかしまあこの件から健やかな人間社会を考える上で大事なのってやっぱこの部分だよねえとは少し思います。

この会社が1社目ということもあり、転職活動をするまで知らなかったのですが、Cygamesは業界No.1の体育会系らしく、利用した転職エージェントや面接を受けた面接官の方達に「あー君のところは激しいからねw」とよく言われました。転職理由ではネガティブな理由は絶対にいうべきでないというのが定説ですが、私は割とポジティブな理由もネガティブな理由も全部話していましたが、「君のところは確かにそういうところありそうだねw」と、露骨にマイナス評価はされませんでしたし、そういう話をしても同情(?)はしてくれても、1次面接で落とされるということは1社もありませんでした。

大事なのは代替選択肢だとよく解るお話。転職出来てよかったね。
仮にこれがウソだったとしても、「良かった。本当はブラック企業で苦しみ人はいなかったんだ」で終わるお話でもあるし。まぁ真実でもウソでもサイゲにとっては災難ですけど。



何故「最終条件交渉ゲーム」が成立しないのか - maukitiの日記
この辺のお話についてはすごい昔にもちょっと書いた構図でもあって、

BATNA」(Best Alternative To a Negotiated Agreement)――「最善の代替的選択肢」という概念を持つべきであると。
つまり交渉前に「交渉が決裂した時に採ることのできる選択肢」が準備できなければ、既にその交渉は負けているも同然なんですよね。少なくとも交渉が決裂した時の備えもなしに交渉に臨んでは際限なく足元を見られるだけだ、と。

何故「最終条件交渉ゲーム」が成立しないのか - maukitiの日記

最悪の状況を解決する最もコストの掛からない方法。そんな地獄はさっさと逃げちゃえば解決。
でも問題はその「逃げる」選択肢だって決してコストがゼロになるわけでは絶対にないわけで。


こうしたお話は単にブラック企業からの脱出というだけでなく、まぁ学校社会のイジメも同じ構図なんですよね。逆説的にいわゆる「毒親」な逃げ場のない世界=家庭が本当に地獄なのもこういう理由がある。
嫌だったら逃げればいい――確かにそれは真理の一つではあるんですけれども、かといって誰もがその選択肢を採ることができるわけではない。
逃げ場を用意することにだって多かれ少なかれコストは掛かるのだから。
代替的選択肢の少ない子供であれば尚更。


その意味ではやっぱり今の「人手不足」「売り手市場」は多くの人たちの福音となっていてすばらしいなあと改めて賛成するところではあります。もちろんそれで首が回らなくなる経営者側の人たちも居るんでしょうけど。まぁプロレタリアの方が大事だからね。しかたないね。
逃げ場がある、逃げ場が確保しやすい、というのはそれだけで良い社会である。
ヒトラーな独裁者が再来したりしているらしい現代日本政治の現状だそうですけども、個人的にそれでも現在の日本社会が「ベター」だという意見に賛同する理由でもあります。選挙で「現状維持」な民意が勝ってるのもそういう理由があったりするんじゃないかな。


しばしば議論される観念的ではない、私たち個人の生活に直結するミクロな「自由な社会」を現実に形成している一例。
少なくともこうして彼あるいは彼女が転職で無事逃げられたというのは、その証明の一つとして。



これからも脱獄先がいっぱいある、簡単に逃げられる日本社会でありますように。