「自由主義の倒し方、知らないでしょ? オレらはもう知ってますよ」

ソ連もそうやって西側陣営を倒せば良かったのにね。共産主義()とかやってるから負けちゃうんですよ。


NBAチームGM、香港支持ツイートで謝罪 中国から批判殺到 - BBCニュース
現代世界の縮図のようなお話だなあと。

NBAは、モーリー氏のコメントは「残念だ」と述べた上で、「NBAは中国の歴史と文化に多大な敬意を持っている。スポーツとNBAが、共存のための力になることを願っている」とする声明を発表した。

ブルックリン・ネッツのカナダ人オーナー、ジョー・ツァイ氏はフェイスブックで、モーリー氏が中国人の香港への強い思いを読み違えたと批判。中国の電子商取引最大手アリババグループの副会長でもあるツァイ氏は、「国や社会やコミュニティーによって、触ってはならない話題がある。中国領土の分離独立運動を支持するというのも、そのひとつだ。中国政府にとってだけでなく、すべての中国市民にとって」と書いた。

しかし、NBAは民主主義を支持する前に中国政府に屈したとして、共和党民主党、双方の政治家から批判を浴びている。

NBAチームGM、香港支持ツイートで謝罪 中国から批判殺到 - BBCニュース

「我らがズヴィズダーリベラルな民主主義の光こそ、世界をあまねく照らす」ことで歴史の終わりとなるはずだったのに。
――しかし30年後の2019年の現実では、まぁご覧の有様であります。
まったく歴史は終わらなかった。その「普遍性(という幻想)」が、身も蓋もなく金の力で露わになるというのは、まぁやっぱり現代世界のよくできすぎている寓話だと思うんですよね。ソ連さんは何で今の中国みたいにできなかったのだ……。




まぁこの辺りはもうずっとやってきている当日記の定番ネタではありますけども、こうした結構大きなニュースとして取り上げられているのを見ると改めてしみじみと考えてしまうお話ではあります。
中国と私たちは信じているモノが違う。
考えてみれば当たり前とも言えるこの現状を認めるということは、戦争に負けたこともあって私たち日本人もほとんど絶対的真理として信じてきた自由主義な価値観は実は普遍的ではないかもしれない、ということを事実上受け入れているということを意味している。
はたして我々は今後、このように他国で行われる自由や権利の侵害に「正しい態度として」沈黙していかなければならないのだろうか? 
――香港で、北朝鮮で、シリアで、イエメンで、スーダンで、あるいは世界中のほとんどどこでも。
政治的に問題だからと繕うことで。
それってつまり「リベラル」という価値観の終わりでもある。そこに普遍性が無いのならば、その権利擁護の歴史・運動そのものの正当性の喪失でもある。私たちがこれまで「人権はぜーったい!」とか言っていたものが、その定義というのは結局、時と場所によってそれぞれ違う幾つかある解釈の一つでしかなかったのだ。
人びとはみんな違ってみんないい。
『人権』『自由』『平和』の定義だってみんなちがってみんないい。


ちなみに、こうしたトレンドは単に「スポーツ」だけではなく所謂「eスポーツ」でも同様でもあるわけで。バスケだけがそうなっているわけじゃ絶対にないよね。
blitzchung選手が政治的発言によりGMから降格処分 | BeerBrick Hearthstone
「香港を解放せよ」 と叫んだハースストーンプレイヤー。大会への参加を1年間禁止されてしまう - Kultur
ゲームな分野では「中国」というマーケットの巨大さ、あるいはプレイヤー層という意味でも、中国の存在感はずっと大きい。なのでこっちの方がよりあからさまでもあるんですよね。上記バスケNBAの一歩先を行って『規約』としてあるように。
大きな市場・マーケット・存在である故に彼らの機嫌を損ねるようなことはしてはならない。
それはつまり、政治的な話題を避けることである。中国国内で何が行われようとも。



同じタイミングで、つまり香港が揺れているこのタイミングである故に、こうした「政治的発言の問題視」な事件が起きているのはとっても示唆的だよなあと。
そして「政治的な意見を言うべきではない」という建前も、「中国からのマネーを逃したくない」という本音も。
構図はどちらも一緒でしょう。
中国政府の本気っぷりというか、この「安易に触れてはいけない」ことにする空気感というか。
そりゃ私たち日本人も香港問題について見て見ぬフリを続けるしかなくなってしまうよね。
――だって中国からのお金はだいじだもん!
ハリウッドなどを筆頭に、著名な演者は政治的にリベラルなことがほとんどではありますけども、あちらも今後は上記のようにこうなっていくのかなあ。
ハリウッド映画、消える「悪役中国」 成長市場に配慮  :日本経済新聞
もうこちらはしばらく前から既にシナリオ上、中国をわかりやすく悪役に書けない、という構図が言われ続けてきたように。




最早私たちは無邪気に自由主義的価値観に絶対の神聖を見いだせなくなっている。
「自由が失われる!」「人権を侵害している!」などと政治的な話題で批判をする方が公の態度としてふさわしくない、というスタンダードに。
それが良いのか悪いことなのかはともかくとして。


自由主義の普遍性の終わりについて。
あるいは中国という国家が台頭した現代世界における、正しい公人としての振る舞い方について。


民主主義や自由主義などの価値観を擁護するような、リベラルな態度を一般社会で公にするなんて恥ずかしい()という世界まであと何マイル?


みなさんはいかがお考えでしょうか?