多文化主義は沈黙を尊ぶ

政治的に正しさを目指す果てにある虚無。



ニュース | アニメ「鬼滅の刃」公式サイト
鬼滅の刃』さんがプチ炎上していたそうで。

この度、弊社が発売いたしましたテレビアニメーション鬼滅の刃Blu-ray&DVD第4巻(2019年10月30日発売)に同梱されている特典CD(劇伴音楽集2)の収録音源(Track51)において、イスラム教に関わる音声の不適切な使用があったことが判明いたしました。当該箇所は市販の音声素材を使用して制作したもので、イスラム教ならびにイスラム教徒の皆様の心を傷つける、または冒涜するという意図は決してございませんでしたが、当該音声の意味や内容を十分理解しないまま収録し、発売したことにより、イスラム教徒の皆様に、ご不快の念を抱かせてしまいましたことを深くお詫び申し上げます。尚、当該箇所は特典CDのみに収録したもので、アニメ本編へは使用しておりません。

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表現者側の配慮が足りない・迂闊すぎるというとまぁ身も蓋もありませんけど、僕自身もこの冒涜の基準は知らなかったしその点を強く責めることはできないなあ。
何が問題だったのかは飯山先生が解りやすく解説されていましたけども、


やっぱりイスラムに普段から触れている人でないとここらの機微は解らないよねえ。



ともあれ「無知故の罪」と言ってしまうとやっぱりアレですが、結局のところ、この件の教訓としては「私たちは知らないことには迂闊に触るべきではない」といういつものオチになってしまうお話だとは思うんですよね。
「文化的自由の為の多様性を維持する為に文化的自由を制限する」人びと - maukitiの日記
まさに多文化主義を目指したはずが、複数単一文化主義となってしまっている私たちの現状そのままに。

一見すると私たちはその美しき多文化主義を謳いながら、しかし実際には、一体何処まで文化的自由を擁護して、一体何処まで文化的保守主義を擁護するのか、その合意さえ得られていない。
そうやって現状の多文化主義はその内部に抱える根本的な矛盾をまぁ見て見ぬフリをして棚上げしてきた為に、結果としてお互いにどこまで口を出していいのかさえ解らない人びとだらけになってしまう。そして当然の帰結として、あるべき紳士淑女の態度として、お互いを理解しているという取り澄ました顔をしながらその実「相互無視」を続けるのです。

「文化的自由の為の多様性を維持する為に文化的自由を制限する」人びと - maukitiの日記

無数に広がっていく他者の文化や信仰に対して言及する際に求められる、繊細な機微と配慮すべきライン――更にはイスラムのそれを見ても解るように内部での統一された見解や基準すらもそれぞれローカルで曖昧でもある――のすべてを完璧に把握することのハードルはとても高く、である以上私たちはお互いに「相手側の文化」にはなるべく立ち入らないことこそが最も手軽でベターな選択肢となる。
だってわざわざ相手の時・場所・都合に合わせた対応をするリソースを払うだけの余裕は、自分の人生を生きるのに忙しい私たちにはないんだから。
無数に広がる(故にすばらしい!)異文化・異教徒から見て冒涜と感じるだろう、それらと同じだけ数多ある様々な越えちゃいけないラインの「今現在の」「統一された」所在について。
うーん、やっぱり、真面目にやろうとすればするほど途方もないリソースかかるのは確実だよね。
かくして私たちの最適解は『沈黙』となる。
そうした沈黙の振る舞いこそ、多文化社会を謳う先進国が、結果としてほとんどどこでも複数単一文化社会となっていく大きな理由でもあるわけでしょう。


この先の展開を占うとすれば、こうした「越えちゃいけないライン」がガバガバとなっていくのか、あるいは更にアンタッチャブル化していくかのどちらかなのだと思います。
現状といえば、シーソーか振り子のように揺れ動いて、まだどちらに傾くのかは解らないですけども。


はたして私たちが今後も掲げていくだろうポスト「失敗した多文化社会」では、これから一体どちらの方へ進むのでしょうね?
みなさんはいかがお考えでしょうか?