グレタさんとは違い、「大人な」私たちが避けては通れない難題 その1

「進まない気候危機対策」の現状を自身で文字通り再現するアイドルな彼女。



ダボス会議前にグレタさん声明「気候危機に対し必要な行動を」 | NHKニュース
トランプvsグレタ 温暖化対策めぐりダボス会議で主張対立 | NHKニュース
ということでeconomy無しでは生きていけない私たちにとって重要(庶民な私たちにとっても重要だとは言ってない)なダボスが始まったそうで。

温暖化対策を求める若者の運動を世界的に広げたスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんは21日、スイスで始まった世界経済フォーラムの年次総会でスピーチしました。

この中で「あなたたちは『子どもは心配するな、悲観的になるな』と言うけれど、何もしていない。もっとひどいのは空っぽなことばと約束で、十分な対策がなされたという印象を与えていることだ」と述べ、世界のリーダーたちを批判しました。

さらにアメリカのトランプ大統領らが森林保護のプロジェクトへの参加を表明するなか、「木を植えるのはいいことだが、それでは足りないにもほどがある。会議に参加している企業や銀行、政府などに対して、化石燃料の調査や採取への投資をやめるよう求める」と述べ、温暖化対策に向けて具体的な対策をとるよう求めました。

これに先立って演説したトランプ大統領は、環境問題について「今は悲観的になる時ではなく楽観的になる時だ」と述べ、温暖化に警鐘を鳴らすグレタさんらに反論した形です。

トランプvsグレタ 温暖化対策めぐりダボス会議で主張対立 | NHKニュース

かといってecologyも無視できない私たちは、かくしてここでも最近散々繰り返されてきたプロレスな光景を再び見ることになると。
いやもうほんとワンパターンな演劇で、そろそろみんな飽きてきているんじゃないかな。
その意味ではトランプさんなんて、このネタだとほんとイキイキとしてるよねえ。



しかし、だからこそとても皮肉で、故にクッソ面白いなあと思うのは、その進歩のなさ・同じ演目の繰り返しというのはほとんどそのまま彼女が批判する『進まない気候危機対策』とそっくり同じ構図だというのを証明してしまっていることだと思うんですよね。
「強硬な」否定論者であろうとしているトランプさんと、善意と危機感溢れるグレタさんの対立が、こうしてどちらも決定打を打てずに膠着状態になっていることそれ自体が、現状の気候危機を取り巻く世界の現実そのものでもある。


良くも悪くも、現在の気候危機問題の現状について正しく象徴するアイドルだよね、グレタさんって。
そのボトムアップな市民の声の盛り上がりの旗手としても、
結局それでも何も進んでいない停滞した現状としても。




COP25の概要と残された課題|TOPICS|国立環境研究所
つい先月行われ、そして案の定何も進まなかったCOP25の合意の顛末が、これまでと同じだったように。

COP25では、6条を積極的に活用して自国の2030年排出削減目標をより達成しやすくしようと試みたブラジルやオーストラリア、中国などと、利用を最小限度に抑えるべきとした欧州や小島嶼諸国等との間で歩み寄りが見られず、来年に持ち越されました。日本はすでに「二国間クレジット制度」(Joint Crediting Mechanism : JCM)という独自の制度を2013年に開始し、モンゴルやバングラデシュなど17か国(2019年6月現在)と署名を交わし、相手国の削減分を日本側にも取り込めることを目指していましたが、この実現も来年に持ち越されました。

COP25の概要と残された課題|TOPICS|国立環境研究所

一体何が「必要な行動か」私たちは合意できない。
上記のようにヨーロッパや実際に被害を被る小島嶼諸国たちより踏み込んだ行動こそが「必要な行動」だとしているし、
かといって今後もより二酸化炭素を排出する=経済成長が期待できる新興国はできるだけその邪魔にならない行動こそが「必要な行動」だとしているし、
私たち日本は日本で独自の二国間クレジットの設定こそ「必要な行動」だとしているし。
悲しいかな私たちの世界は、この期に及んでも一つになれない。


いっそ、もう誰か賢い人が――別にグレタさんが決めたっていい――その「必要な行動」の中身を定義してくれればいいのにね。
しかしその定義が決まったところで、悲しいかな衆愚たる私たち市民がそれに同意するかどうかはまた別問題なんですよね。
はしか流行で緊急作戦中のサモア、陰謀説広めた反ワクチン活動家を逮捕 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
もし本当に賢い科学者が「正しい答え」を定義してくれるのであれば、反ワクチン運動も、あるいは放射能基準値云々に関する諸々の問題もあるはずないのにね。
しかし現実を振り返ってみると、そうした諸々の悲喜劇が尚も繰り返されている私たちの日常でもある。
ということはつまり……。


だから実際に彼女のいうような気候危機に「必要な行動」を、誰かとても賢い人が定義できたことを思考実験してみると、それはそれでこちらも茨の道が続くのは間違いないんですよ。
いざ、その「必要な行動」に私たちのような民主主義国家においてそれが主流世論とならなかった場合、民主的意見こそを重視する私たちは一体どうするの?
――まさにそれが現実の実例としてかなり明確に示された一つが、京都議定書の直前にアメリカで採択された『バード・ヘーゲル決議』でもあったわけでしょう。
ちなみに当時アメリカの政権に居たのは、『不都合な真実』でノーベル平和賞を採ったアル・ゴア副大統領でもある。


そこで起きるのは何も0や100かの単純な話で拒否されるという話じゃないんですよ。
当然重視される『国益』という観点において、実際にそのコストを支払う私たちがその負担はできるだけ軽くして(つまり他所の国の負担はその分重くなる)欲しい、という当然で真っ当な要求をされたら民主主義政治の政治家たちはどう応えればいいの?
上記のように、かつて正しく民主的手続きで選ばれたアメリカの議員たちは、そこでアメリカにとって不公平な負担は絶対に背負わないと選択した。


いやあ、民主制国家じゃなくて賢帝による独裁国家ばかりだったら話は簡単なのにね!
やっぱ民主主義ってクソやな!





グレタさん「空虚な言葉、沈黙より悪い」 ダボスで皮肉:朝日新聞デジタル
かくして私たちの前に「空虚な言葉」が並ぶことになる。
――でもこれって何も悪意から・問題を先延ばしにしようという気持ちによってそうなっているワケではなくて(いやそれがまったくないとも言いませんけど)、むしろ国際関係史の教訓から見るとひたすら私たちが無能であり能力に限界があることの証左でしかないでしょう。
ただただ私たち人類に、全世界が受け入れられるだけの合意を生み出せるだけの叡智がないというだけ。
ザ・ハンロンの剃刀。
いやまぁ、その合意を生み出せないことを人間の『無能』とするか、あるいはそもそも人間の手に余るような『奇跡』なのか、については議論の分かれる所ではあるんでしょうけど。


その意味で言うと、グレタさんは『悪意』や『怠惰』故にそれが実現できていないと考えているのでしょう。
――個人的にはどちらかというと、そもそも私たち人類の手に余るような『奇跡』が実現できていないことを責めてもなあ、と摩耗した大人らしいポジションの方に立ってしまいます。
もちろんだからといって努力しなくてもいいというわけでは絶対ないですけれど。


  • 私たちの国際関係は世界全体を射程に入れた「必要な行動と合意」を生み出せるのか?
  • そして私たちの民主主義政治は、その合意を支持できるのか?

「子供な」グレタさんは別に応えなくてもいいんですけども、しかし「大人な」その支持者たちは避けては通れない問題だよね。



みなさんはいかがお考えでしょうか?