燃え上がれ、オレたちの小正義!

普段はもてあましがちな、私たちのメタ正義感が正しく機能している珍しい構図。



新型ウイルス、世界は「警戒が必要」とWHO 死者170人に - BBCニュース
ということで本邦でも着々と状況が進行しつつあって、なんだかものすごいこと(報道量)になっている中国発の新型ウィルス騒動ではあります。
いやあバズってるよねえ。これも広義の終末論ということで、不謹慎ながらwktkする私たちの内心もあったりするのかもしれない。
首相、帰国邦人の受診拒否「残念」 2便以降の搭乗者には確認 - 産経ニュース
で、本邦のチャーター便帰還者たちも概ね陰性だったそうですが、一部の人に「検査」も拒否されてしまったそうで。

安倍晋三首相は30日の参院予算委員会で、新型コロナウイルスによる肺炎拡大を受け中国・武漢市から政府のチャーター機で29日に帰国した邦人のうち、2人が感染の有無を調べる検査を拒否したことについて「残念だ。本人のためだと説得したが、法的拘束力がないということで、この結果になった」と述べた。第2便以降のチャーター機で帰国する邦人に関しては「明確に(受診の)確認を取っている」とした。

首相、帰国邦人の受診拒否「残念」 2便以降の搭乗者には確認 - 産経ニュース

まぁ拒否できる理由は色々想像はできるものの、それは結局のところ外野の私たちには正確に理解するのはまず不可能なお話ではあります。


この辺のジレンマは先日日記でも書いていた構図そのままですよね。

ミクロな個人として合理的であればあるほど、社会はその自由を制限しなくてはいけなくなるジレンマ。
いやあ人間社会ってむつかしいよね。しかしその公衆衛生のバランス議論こそ、私たちが人間が文明社会として常に抱えてきた難題でもある。故に完璧な答えも未だ見つかっていない。
そのバランスについて。
中国は明らかに自由よりも制限に重きを置いている。では、私たち日本はどうするべきだろうか?

ラショナリーな彼女 - maukitiの日記

(中国と違って)理性ある私たちにはそれができないと。
現状の日本では「検査」を強制することが、その強制が深刻な人権侵害に繋がりかねないこともあって、法的根拠を作ることすらもしり込みしてきたと。
未整備のまま放置してきた不作為を批判するのは簡単ですけども、じゃあその自由を制限する権力拡大に賛成するかというと、まぁ反政権な層からも――というかそうした人たちからこそより強く反発されてしまいそうなのでやっぱり詰んでるよね感。きっと今回も喉元過ぎたら忘れちゃうんでしょうね。
でもそうしたことも市民の自由度を重視する「リベラルな民主主義の度合い」でもあるわけでしょう。
チャーター機に搭乗できない武漢在住韓国人把握できず…国民の不安を考慮し集団隔離 : 政治?社会 : hankyoreh japan
都市丸ごと封鎖する中国、あるいは一括して集団隔離する韓国、のようにはしない日本というのは少なくとも一面では評価していいのではないかと個人的には少し思っています。
良くも悪くも、その限界こそが日本のリベラルさを証明している。
ただ、この辺は一口に『欧米流』といっても様々にグラデーションのある議論の分かれるところではあるんですよね。たとえば上記韓国のように、中央集権なフランスはそうした自由の制限をするための緊急事態をあっさり認めてしまう社会でもあるし。




さて置き、個人的にこのニュースで面白いと思うのは、まぁそうなること自体は別に不思議でも何でもないものの、このニュースを受けて少なくない日本社会の私たちが素朴に怒っていて、それがまた適切だと認識されている所だと思うんですよね。
「自分一人の問題じゃないのに検査をぶっちするなんて、けしからん!」なんて。
普段の私たちであれば、そうした「みんなと同じようにしないことへの怒り」それ自体の方に批判が向かい、更にはムラ社会な日本の出る杭を打ちたがる悪癖であると展開していくところではありますけども、しかし、今回は概ねそうはなっていない。
正義に従わないなんてけしからんやつらだ!
ぶったたいてやれ!
政治家たちの不作為によって、個人の自由を早々に制限できない日本社会でこそ、今回の私たちの正義の怒りは「正しく」機能してしまっている。


法的拘束力のない現状は、結果としてこうした私たちの素朴な怒りを背景にした社会的圧力こそが、今回のような「検査拒否」「自分勝手な行動」を抑止することになっている。
それこそこの「検査を受けなかった二人」以外にも(こちらも同様に様々な理由から)検査に乗り気じゃなかった人だって居たはずでしょう。
しかし、彼らのその自分勝手さあるいは合理性を「社会からバッシングされるかもしれない」という圧力を使ってでも大人しく検査を受けさせるべきであると、私たちは正義のココロを燃やすことになる。
社会の利益の為に、ひいては自分の利益の為に、
無給の警察官たらんとする人びと。



逆説的にだから今回のように、まさに日本中の目が集まる中でマジで「検査拒否」をやってしまう人ってほんとうにスゴイとこちらも素朴に思ってしまうんですよね。
――いや、心底何も考えてないだけ、というオチもあるかもしれませんけど。
個人的には批判する気はありませんけども、ほんとどういう心情だったのか気になる所ではあります。もしかしたら某ゴーンさんの事件のように、人には言えない機密作戦に従事していた工作員の可能性あるかもしれない。



検査拒否した帰国者2人、「検査受けたい」と申し出 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
法的拘束力を持たない私たち日本社会の安全は、こうした社会的な集団圧力が最後の一線を守っている、少なくともそのように見える面白い構図。
それこそ普段はそうした同調圧力と社会的圧力こそを憎んできた人が多数だったはずなのにね。




まぁ私たちが今よりもずっと小さな小規模集団を営んでいた時代から持っていただろうこのメタ正義感というのは、そもそもがこうした事態にこそ役に立ってきたと言う事はできるかもしれない。
やっぱり今更そんな古いシステムに頼っていること自体が日本社会の後進性だと言うと身も蓋もありませんけど。


普段は「悪い」モノ扱いしてきたはずの日本社会にある同調圧力が、いざこの緊急時に見せている「良い」側面について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?