危機感がなければ子供たちの未来を守れない、危機感があり過ぎるとパニックで俺たちは正気を保てない

「家が燃えていると思え」と叫ぶ子供なグレタさんと、「強い言葉を安易に使うべきではない」という大人なテドロスさん。




【解説】 パンデミックで世界の株価総崩れ トランプ政権の渡航規制で欧州全面安 - BBCニュース
経済へのダメージが表面化してきていて、今日も世界は大荒れではありますが、まぁやっぱりマジの「緊急時」を考える際のひな形というか思考実験のベースとしては面白いと思う所ではあるんですよね。
前回日記平和ボケだった日本人もトランプ旋風のような夢を見るか? - maukitiの日記の続き的お話。
つまるところ、私たちにも見られるようになった国際機関への素朴な不信感こそが、実は「世界全体で協力できない」ことへのボトムアップな世論の基礎にあると。


ということで、個人的にここから転じて思い出すのは僕らのアイドルグレタさんのありがたいお言葉であります。
「私たちの家が燃えている」 温暖化対策求め、地球各地で数百万人が抗議 - BBCニュース
まるで自分の家が燃えているかのように行動してほしい。スウェーデンの少女の主張。 - CICLO
まさに、今、この瞬間が、私たちの家が燃えている時、そのものでしょう。
グレタさんの言う「自分の家が燃えているかのように行動」したら一体どうなるの~??? の実例が私たちの目の前にある。

私たちの家は燃えています。危機感を持ってほしい。あなた方にも私が毎日感じる恐れを感じてほしい。
それから行動してほしい。あなた自身が危機に瀕しているかのように行動してほしい。家が燃えているかのように行動してほしいのですが…。

まるで自分の家が燃えているかのように行動してほしい。スウェーデンの少女の主張。 - CICLO

恐怖の先こそ気候変動とコロナという違いはあれど、私たちが毎日恐れを感じ危機感を持って「家が燃えているかのように」行動するとどうなったのかというと……。





もちろん、例えば私たち日本でも中国にマスクを贈ったり、あるいはその後逆に贈られたりして、善き「協力関係」を生み出している状況もあるでしょう。
しかしそれは必ずしも『世界全体』という射程を持つものには絶対になっていない。


むしろ国際社会における協力度合いの指針である、各国の信頼関係がどちらへ向かっているかというと……。




いやあ混乱ラバーな人たちはwktkしてるでしょうねえ!
人は強い恐怖に駆られると、パニックを起こしてしばしばバカな言動をするようになる。
うーん、鉄アレイで殴ったら人は死ぬ、くらいには人類普遍の真理だよね。


かといって、別に「だからグレタはバカだ!」と言いたいわけでは絶対にないんですよ。
――むしろ私たちはマジで「家が燃えそう!」となったとき、どれだけ利己的になれるか、という事が今回のことで証明されただけだと思うんですよね。
そして利己的故に協力体制を築くことができない。
でも仕方ないよね、だってマクロな国家間で協力できないことを批判してみても、それこそ「ミクロな個人間」でも私たちはトイレットペーパーや消毒液やマスクを合理的に我先に奪い合っているんだもの。
それも劣等民族日本人だけならまだ救える話ではあったのに、世界中で似たような光景が繰り広げられているとなっては尚更。
やっぱ人類皆兄弟で、私たちはみーんな同じレベルなんだよね!
いわんや、国家をや。
こうした構図になってしまわないように、だったら気候変動ではどのような政治的一致団結を演出することができるだろうか?
まぁいつものように「子供のグレタさんは」別にいいですけれど、大人な私たちが気候変動をどうにかしてやろうと考えるならば、そこは避けては通れないよね。
国家を越えた協力体制の構築=そしてそれは近隣諸国に対する国民感情の克服や、国際機関や条約への不信感の払拭でもある。


私たち日本人は、まさにWHOという世界的な国際機関の代表であるテドロスさんのような人から、
つまり、まるで信用できず、政治的正当性も感じられず、挙句に特定の国と懇意にしているようにしか見えない人から「気候変動対策のためだから」と言われて納得して自分の個人的生活の自由を差し出すことができるだろうか?





ちなみに、パンデミック宣言を渋ってもいた彼は次のように言っていたわけですよ。

最新の記者会見の中でもテドロス事務局長は「パンデミックは、軽く・不注意に使用する言葉ではありません。誤用された場合、不当な恐怖や不当な受け入れを引き起こし、不必要な苦痛や、死につながる可能性もあります」と語り、感染症パンデミックと認定することの難しさについて語っています。

WHOが新型コロナウイルス感染症をパンデミックに認定すると何が変わるのか? - GIGAZINE

例え家が燃えそうでも、安易に家が燃えていると騒ぎ過ぎてはいけない、とまさに大人のしがらみの中で生きているザ・大人な彼の発言。
しかしそうした曖昧な態度こそが危機を温存させると怒るグレタさん。

私たちの家は燃えています。危機感を持ってほしい。あなた方にも私が毎日感じる恐れを感じてほしい。
それから行動してほしい。あなた自身が危機に瀕しているかのように行動してほしい。家が燃えているかのように行動してほしいのですが…。

まるで自分の家が燃えているかのように行動してほしい。スウェーデンの少女の主張。 - CICLO

「家が燃えていると思え」と叫ぶグレタさんと、「強い言葉を安易に使うべきではない」というテドロスさん。
子供の論理と、大人の論理。


危機感がなければ子供たちの未来を守れない、危機感があり過ぎてはパニックで俺たちは正気を保てない。
結局、答えはそのグレーなどこかにあるのでしょう。


しかしそのグレーのどの部分が正解なのかについて、
現在のコロナに恐怖する世界において、
私たちは今のところ答えの一致を見ることはできそうにない。



みなさんはいかがお考えでしょうか?