10年ぶりに帰ってきた「Too big to fail」な光景

ぶりに? たたずに?



東京五輪、「延期決まった」IOC委員が米紙に発言 (写真=ロイター) :日本経済新聞
IOC委員「大会の延期は決定された」米紙報道 | NHKニュース
ということでついにリットン調査団の報告書が、あるいはポツダム宣言的な何かが、日本に通告されるそうで。
やっぱり欧米世界に直面してからようやく事態が動き出した、というのは改めて2020年になっても尚、ヨーロッパを中心としたソレを世界大戦と称していた時代と変わってないんだなあと生暖かい気持ちにはちょっとなってしまいますけども。

ジュネーブ=細川倫太郎】国際オリンピック委員会IOC)のディック・パウンド委員は23日、米紙USAトゥデーの取材に応じ、2020年東京五輪について「延期は決まった」と話した。21年への延期の可能性が高いとし、詳細は4週間で決まるとした。IOC委員が延期が確定したと言及したのは初めてとみられる。

IOCは22日に臨時理事会を開き、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、延期を含めた検討に入ると発表した。延期が濃厚との見方が強まるなか、具体的な延期時期への関心が高まっている。

東京五輪、「延期決まった」IOC委員が米紙に発言 (写真=ロイター) :日本経済新聞

いやあここまで長かったよねえ。


ともあれ、前回通常日記でも少し触れたように、IOCなどの不断の努力による『オリンピック』という商業イベントの存在価値の向上が、皮肉なことに延期や中止に言及することすらままならなくなるという『聖域化』へ間接的に繋がっているのはまぁ面白いと思うんですよね。
商業化が行き過ぎた果てにあったものが、コロナっていうオチ。
オリンピックという文字通り「世界最大級のイベント」である故に利害関係者が多すぎて、あるいは考慮すべきイベントスケジュールが巨大すぎて、簡単には止められない。
コンコルド効果、あるいはサンクコストと呼ばれる何かによって、がんじがらめになる人びと。


オリンピックは「too big to fail」である、なんて。
――これちょうど10年前にも見た光景だ!
そのルーレットに偶々当たったのが東京だというのはまぁハードラックとダンスっちまった感ですけど。


しばしば、本邦でも聞かれる「責任を取らない政治」という批判があったりしますけども、まぁそれってWHOの騒動を見ても解るように、むしろ「国際機関だからこそ」よりその性向は強くなるとも言えるんですよね。
何しろ彼らはその名前だけは著名過ぎる一方で、管理すべき問題は重要過ぎ、しかし実際の権限・強制力というのは大抵極小でしかないから。






価値を高めれば高める程、万が一のリスクは大きくなる。
今後の予定表にある「既に決まっている」都市はともかく、ここで『延期リスク』があることを明らかにしてしまっては、都市立候補など今後のオリンピック運営にネガティブな影響があることは間違いない。
オリンピックは今後は「延期される」可能性をも考慮しなくてはならないのか。
出場する選手はもちろん、その開催の為の準備をする人たちもたまったものではないよねえ。
その意味では上記ではハードラックと書きましたけど、事実上初の事態ということで私たち日本の瑕疵もかなり減免されているのは(おそらくもう二度とないだろうし)不幸中の幸いだよね。


本当に今後もこの膨れ上がった巨大イベントやっていけるの?
――というこれまでは無かった疑心暗鬼が生まれてしまった。
コロナ騒動は、単に東京開催の是非というだけでなく、あまりにも巨大化したオリンピックの未来の展望にも疑問符を付けるようになった。




皮肉にも世界全体を射程に入れた『平和の祭典』と称してきた故に、オリンピックでの危機イベントというのは、ほとんどそのままその時点における国際関係の致命的亀裂の表れとして見られてきたわけですけども、
はたして今回の「延期(あるいは中止)」は、将来の歴史的評価としてどのような見方をされるようになるのでしょうね?
グローバリズムの終わり?
あるいは、世界全体の人びとの世界的危機であるコロナに協調し立ち向かった勝利の象徴となるのだろうか?


みなさんはいかがお考えでしょうか?