エスタブリッシュメントへ「何か上手いこと言い返してやりたい」という気持ち

もちろんそれが全体主義への素朴なカウンターとなる社会風刺の一種であり、政治的健全さの証でもあるんですけど。


「たかが電気のために」⇒「たかがライブハウスのために」坂本龍一が投げたブーメランが8年後に音楽業界に帰ってくる - Togetter
今危機に直面するライブハウス等を救いたい!…のだが(木曽崇) - 個人 - Yahoo!ニュース
うーん、まぁ、そうねえ。この場合における「たかが電気」発言への『ブーメラン』かどうかはともかくとして、しかしまぁそういう事を言いたがる人たちがいっぱい居る、というのは理解できるかなあ。
それこそ安倍さんの(確かにそれ自体は言葉遊びに近い論理のすり替えではある)御飯論法という批判の繰り返しでもそうだし、あるいはいまだに使われる有名どころだと「神の国」とか「二位じゃダメなんですか?」とか、当日記でもちょくちょく使っている「ただちに影響はない」とか。
文脈を深く考えずに、とりあえず相手の言葉をそのまま使ってカウンターとして反論すれば、なんとなくうまいことを言った気分になるからしかたないよね。
特にそれがこちらとは非対称なエスタブリッシュメントだと更に良い。


個人的経験からよく見るのは、ゲーム開発・運営側のアナウンスや放送へのコメントでもクッソしょーもないブーメラン()をしていて、そういうことを考えると政治ネタに限らずやっぱり人類普遍の愚かさなんだろうなあと思っています。
そうした批判精神や風刺こそが健全な社会でもあるとも思うんですけど。
僕自身にもそういう気持ちがあることは否定できないし、ここぞとばかりに上手いことを言いたい気持ちになるのも否定できない。
とりあえず、ある種の権威ある人たちに対して、何か「うまいこと揶揄してやったったわ!」という気分になりたい私たち。




ここで面白いのは坂本さんがこうした構図における、揶揄や風刺されるべき『強者』、な存在だと一般に見られていることだと思うんですよね。
――おそらく本人はそんな実感ないんでしょうけど。
『3・11』な時からそうでしたけど、彼が反権力なポジションを採る一方で、しかし批判の声が大きい理由って単純にネトウヨ云々ではなくその部分だよね。この辺はマスコミのそれへの視線と同様でしょう。
コロナ騒動によって、そんな強者であったはずの彼すら文化保護のために交付金助成を求めている。
「AnywheresとSomewheres」という現代民主主義政治の最前線テーマ - maukitiの日記
somewhereな俺たちが愛してきた政府に、これまでanywhereを気取っていたヤツらがお願いしている。
コロナ禍という戦時状況において生まれつつあるこの逆転現象って、確かに個人的にも興味深いと思うんですよね。
そしてそうした逆転に対して「痛快!」と素朴に思う気持ちも。


「強者が苦しんでいる様子を見られるコロナは痛快!」
「コロナは痛快」への謝罪が意味するところは何か問題 - maukitiの日記
当時の日記でも発言自体は割と好意的に書いたつもりでしたけど、やっぱりあの朝日新聞記者は私たち庶民感情を正しく反映していたんだなあと改めて思います。


これまで無自覚にふんぞりかえっていたやつが手のひらを返しているのを見て、何か上手いことを言って更に気持ちよくなりたい私たち。
結局のところ、今回の「たかが電気」のカウンターが盛り上がっているのはそういう文脈なのだと思っています。


みなさんはいかがお考えでしょうか?