2020年:コロナによる政府の権力強化の流れが強まり民主主義は死ぬ ←New!

失うモノが相対的に大きい中間層な私たちが望むモノ。




田原総一朗「遅すぎた緊急事態宣言。安倍首相が語った意外な理由」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
うーん、まぁ、そうねえ。
最終的にオチにヒトラーが出てきてズッコケしてしまうお話ではあるんですが、しかしこの「何故緊急事態宣言が遅れたのか」という部分はかなり興味深く面白いと思うんですよね。

数カ月前まで、どの新聞もテレビも日本の財政事情は危機的で、このままでは数年後に破綻(はたん)すると強く訴えていた。だからほとんどの閣僚たちが、緊急事態宣言などすると、100兆円近くの経済対策をしなければならなくなり、危機的な財政事情ではそんなことはとてもできない、と捉えていたのだという。

田原総一朗「遅すぎた緊急事態宣言。安倍首相が語った意外な理由」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

無垢で無邪気な私たち一般市民がそれを信じているのはともかく、閣僚まで「どの新聞もテレビも日本の財政事情は危機的で、このままでは数年後に破綻(はたん)すると強く訴えていた」を信じていたのってそれマジなの。田原さんの飛ばしであってほしい。
――いやまぁむしろそうであるからこそ、現代日本社会における財政問題についての一般的言説が現状のようになっている、という現実の証明だといわれるとぐうの音も出ないんですけど。


そりゃ皆で支出カットに熱心になっちゃうよね。
しかたないよね。
個人の財布と国家の財布を同じ次元で考えた方がはなしはわかりやすいしね! 
まくろけいざい? 
なにそれおいしいの?


やっぱり民主主義政治における政治家は有権者を映す鏡なんだなあ。
有権者自身より賢い政治家は選べないのだ、ということがよく解るお話だよね。


つまりそれってそのまま以下のヒトラー部分にも掛かってくるんですけど。もし閣僚たちが新聞やテレビの報道を真に受けているのであれば、より強い態度を望んでいると報道されればドクサイに走ってしまうのも無理はないかもしれない。

最後に、いま各国で他国との出入りを遮断するなど、反グローバル化、そして国民の生命と生活を守るために、ということで政府の権力強化の流れが強まっている。少なからぬ国民が政府を頼りにしている。石田勇治・東大大学院教授は、ヒトラー登場前夜のドイツと今の日本の相似点として、政治家の質的劣化と国会の体たらくを挙げている。その危険性を指摘する有識者は少なくない。だからこそ、そうならないために国民の一人ひとりが頑張らなくてはならない。

しかし「一人一人が頑張る」ってなにをどう頑張るんだ。
それってこの危機に直面することで、致命的に不安定化しつつある私たちの個人的生活よりも優先されるべきものなの? 
それを政治に求めることは罪なのか?




かくして民主主義は死んでいく。
「ここ数年で一番民主主義が死んでる」 - maukitiの日記

1995年:ここ数年で一番民主主義が死んでいる
1996年:10年に1度の民主主義軽視
1997年:1976年以来の民主主義の死滅
1998年:10年に1度の悪法
1999年:民主主義は昨年より悪い
2000年:議会制民主主義は低調で申し分なく死んでいる
2001年:ここ10年で最低
2002年:過去10年で最低と言われた2001年を下回る民主主義
2003年:100年に1度のひどさ
2004年:与党の審議打ち切りがひどく最悪の民主主義
2005年:ここ数年で最低
2006年:昨年同様ひどい民主主義
2007年:数の横暴で上質な民主主義が死にかけている
2008年:強行採決と理念なき妥協が調和することで民主主義が死んだ
2009年:50年に1度の民主主義軽視
2010年:1950年以降最低の民主主義といわれた2009年と同等のひどさ
2011年:近年の汚点である2009年に匹敵する民主主義
2012年:史上最高の民主主義だが、国会のルールが踏みにじられている
2013年:有権者を愚弄しており、息苦しい世の中が感じられるひどい民主主義


(アベドクサイによって常に死んでいたので中略)


2020年:コロナによる政府の権力強化の流れが強まり民主主義は死ぬ ←New!

でもまぁこの辺はコロナ騒動の初期から読めていた展開ではあるよね。
コクミンが安倍にもっと独裁しろと囁いている - maukitiの日記
なにより中間層である私たちが自分たちの生命財産を守ってほしーい! と望むからこそ。



だから、そんな風により強い権力強化を望む声と、一方でベクトルは真逆ながら経済封鎖に反発する声って同じだと思うんですよね。
米各地で「都市封鎖」抗議デモ 死者4万人突破も経済再開求め - BBCニュース
失うモノが大きいからこそ彼らは必死になる。
よく悪くもポジションが固定化されている富裕層や貧困層ではなく、まさに中間層(だと思っている人も含む)こそが自分たちの先行きの不透明さの解消を政治に求めるようになっていく。
これこそポストコロナな世界における民主主義国家のトレンドになっていくんじゃないかと。


現在の世界にあるこうした構図って、「相対的に」失うものが大きい中間層こそが不安定要因となって社会動乱を導く、というハンチントン歴史観そのものっぽくて面白いと思うんですよね。
この辺は今度別の日記で書きたい。




はたしてコロナは一体どのような変化を私たちの社会にもたすのでしょうね。
みなさんはいかがお考えでしょうか?