コロナでもノンポリとして賢しく他責的に振る舞おうとする「日本人のホンネ」に祝福を!

「我々も政治的発言をする。しかし今回、まだその時と場所の指定まではしていない」


アフリカ出身・京都精華大サコ学長 コロナ問題でわかった「日本人のホンネ」 (1/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
日本人がやる日本人論よりはよっぽど興味深く面白いお話。
当事者などの内側からの物の見方というだけでなく、第三者からの新しく相対的な視点というのは、まぁ常に勉強になるよねえ。
――であればこそ独りよがりにならないために、この日記は半ばテンプレのように「みなさんはいかがお考えでしょうか?」とやっているわけでもあるんですけど。

 興味深いのは、日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っていることです。アフリカも政治不信は同じですが、まだギリギリ地域共同体が機能し、地域の動きを政治家が利用してサポートする例が見られます。昔の日本は、京都の地域住民が国に先駆けて小学校をつくるなど共同体の力がありましたが、今は自治会レベルでも国の決断を仰いでいる。共同体が壊れ、相互扶助もできなくなっています。

アフリカ出身・京都精華大サコ学長 コロナ問題でわかった「日本人のホンネ」 (1/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

 今回の事態で、日本人の本音に触れた気がします。冷静に見えて他人へのいらだちを募らせていたり、堅い職業の人が、歌舞伎町やパチンコ店でこっそり気分転換したり、表と裏の二面性がある。プレッシャーの強いストレス社会なのでしょう。また「自分ではない誰かがしてくれる」気持ちが強い。サービスが整いすぎているのが日本の弱さで、知恵や能力を使う機会がなく、自ら考えて動くのが苦手で他責傾向がある。ただ、わかっているのは、この問題は誰かが解決してくれるものではないということです。

アフリカ出身・京都精華大サコ学長 コロナ問題でわかった「日本人のホンネ」 (1/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

個人的に一番面白かった、というか刺さったのはこの部分かなあ。
他人任せな私たち。
いやあ我が身を振り返ってみても耳が痛い。



しかしこの構図って最近も炎上していた「政治的発言」云々とかなり近い部分があると思うんですよね。
政治問題について発言するということは、そこにコミットする意思があるという表明でもある。その前提が無ければそもそも初めから口にする意味もないし。
確かに「〇〇に抗議する」という政治的発言をするのは、税金を払っていようがいまいが*1誰であろうとまったく自由であります。
しかし、それを口にしてしまうということは、必然的にその論争に巻き込まれるという意味でもある。
(いや、むしろ巻き込まない方が相手を対等の人間として見てはいない『見えない人間』扱いしていることの証左ですらあるかもしれない)
きゃりーぱみゅぱみゅ「#検察庁法改正案に抗議します」で見せた勇気と真っ当な市民感覚(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース
某ぱみゅぱみゅさんもそれで荒れていましたけども、そこで「罵詈雑言しか出てこない未熟な愚民どもだ」という批判はあったとしても、しかしそれで論争そのものが起こらないはずがないし、その論争自体を否定するのも間違っているわけでしょう。
そもそも多数の利害を調整する政治ってそういうものなのだし。
有名人が政治的主張をするということは、賛成意見にしろ反対意見にしろ、周囲の反応をより強く惹起する。
政治的発言だという自覚がなかったのであれば……、うん、まぁ、そうねえ。




逆説的に、初めから口にしなければそうした「余計な(ここ重要)」論争に巻き込まれることもない。
私たち庶民に伝わる伝統的な知恵として昔からあるように。
野球と政治と宗教の話はするべきではない、なんて。




※ただしオレは除く。 - afurikamaimaiのブログ
以前afurikamaimaiさんから、当日記で「私たち」を濫用してまさに上記のような政治的発言を回避しようとしているのがセコイと見抜かれてしまいましたけども、正直うちの日記の大方針としても概ねその通りなんですよね。
まず書き手としてそれが無いという前提がありますけども、それでも更に敢えて徹底して自身の政治的発言をしているように見えないように過剰に書いている。
だってえんじょーしたらしぬほどめんどくさいんだもん。
まぁ実際のところ、当日記を読んでくれる奇特な人たちにどう伝わっているかは読者のみぞ知るセカイではありますけど。当日記もまたクオリアなのだ()。




ともあれ、そうした私たち日本人の合理的で賢しらな態度を考えてみると、過去日記でもしばしばネタにしてきたグレタさんなどは有言実行でほんとうに偉いと素朴に思うんですよ。
他にもマララさんなど、若くして大義に燃え政治活動にいそしむ人たちは概ねみんなえらい。
――その目的の是非はともかくとして、しかしちゃんと自らの政治的発言に則った行動として徹頭徹尾実践している、ように見えるから。
政治的発言をするという事は、当然その発言に則った行動を自身がすることまでも暗黙に要求されるという事もであるから。
「人権を守れ!」と一方の手を振り上げ叫んでいながら、もう一方の手で誰かの人権を侵していたら、それこそこの世の地獄かギャグのようなお話でしかないわけだし。
うーん、ポリコレ棒カウンターで殴り合うこの世界では、あちこちでちらほら見られるような……。
やっぱりグレタさんは偉いよねえ。必ずしも同意はできませんけど。



不満が無いから・意見がないから政治的発言をしないのではなくて、ひたすら厄介なことに巻き込まれたくないから、ひたすらその行動責任を問われたくないから口を閉ざしているだけ。
上記サコ学長に僕が説明するのならそういう「日本人のホンネ」があると伝えるかなあ。
しかしそれはやっぱりある意味での誠実さだとは思うんですよね。
口で言うだけ言って行動を伴わないよりは、初めから何も言わない方が確かに一貫性はある。
この辺は、仕事上における外国人と比較した日本人的な自己アピールである「できることしか言わない」なエスニックジョークっぽくて面白いですよね。
まぁやっぱり自分が口にしたわけではないからそれが失敗しようが成功しようが後から言いたい放題でもある、という責任回避術でもあるんですが。



はたしてそんな「日本人のホンネ」を私たちは何と呼ぶべきだろうか?
合理的に責任回避してるだけ?
奥ゆかしい誠実さのあらわれ?



個人的にはやはり「正と負の二面性が同時に両立していてこそ文化である」という論に与する所ではあります。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:太田光「政治に口出したっていい」きゃりーは納税者 - お笑い : 日刊スポーツ別にそれが悪いと言いたいわけでは絶対にないけれども、ここで「納税者」と言ってしまう辺りが彼の政治的ポジションが透けて見えるようでちょっと面白いよね。