真摯に「娯楽番組」を作っている人たち(娯楽番組担当とは言ってない)

factfulnessなつまらない番組よりも、factlessnessな娯楽になる番組作ろうとしている普通の人びと。


モーニングショーとバイキング 撮影日を誤り番組で謝罪【新型コロナ】 | ハフポスト
『モーニングショー』&『バイキング』誤報道で炎上、謝罪|エンタMEGA
おっ、今日もテレビのみなさんやっとるね~、と温かい気持ちになるお話ではあるかなあ。

民放2社の情報番組は5月20日の放送で、撮影時期が実際と異なる写真や映像を流したとして、番組内で陳謝した。SNSでは批判が噴出している。

モーニングショーとバイキング 撮影日を誤り番組で謝罪【新型コロナ】 | ハフポスト


同じタイミングで同じようなことを民放各社がこぞってやらかしている辺り、まぁどこか一局だけの問題というわけではないのでしょうね。
おそらく、昨今急に増えたという意味でもなく、単純にその視聴者からの突っ込みや厳しいご意見がより来るようになった・可視化されただけだとは思いますけど。ネットには警察がいっぱいいるからしかたないね。
更には「前科のある人に厳しい」という私たちの社会にある一般的通念に照らしても。


テレ朝「お考えを十分に紹介しきれなかった」 「グッド!モーニング」医師取材で「内容を真逆に編集」指摘受け(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース
「失態」としては、少し前にもあった医師のPCR検査発言に関しての真逆編集の方がより罪深いとは思っていますけども、しかし、そもそもそうした番組を作っている人たちへの批判が意味があるか――改善に繋がるかとというと、正直あんまり意味ないとは思っているんですよね。
――だって彼らってそもそも事実に即したfactfulnessな番組を作ろうとはしてないわけでしょう。
むしろ視聴率を稼ぐためであれば「多少(得てして主観による)」針小棒大にfactlessnessな演出を盛り込んでも問題ないと思っている故にこうなっているわけで。
初めからそれが悪いと思っていない人にどれだけ注意してみたって馬耳東風で意味はないんですよ。
少なくとも、彼らの行動の裏付けとなっているそれを求めている人たちが現実に大勢いる間は。


factfulnessなつまらない番組よりも、factlessnessな娯楽となる番組作ろうとしている人びと。
事実に即しているかというよりは、どのように過激に演出すればより視聴者を集めることができるか、ということにひたすら真摯であるだけ。




デイビッド・フリンが、トランプ旋風を生む下地となったフォックスニュースやラジオトーク番組をして「(メディアではなく)保守派のための娯楽施設」と呼んだそうですけども*1、本邦のこうした『バイキング』やら『モーニングショー』や『ひるおび』なども同じなのでしょう。
テレビ好きな日本人視聴者のための娯楽施設である。
結局のところ、上記民放大手三社の番組制作が目指しているのもそういうことじゃないかと。
それが多少なりともニュース番組という体裁をとってしまっているのがこのお話の擁護不可能な所でもあるんですけど。


コロナという非常事態だからこそ、彼らはそこで真摯に苦しむ私たち視聴者に娯楽となるような「factfulness」ではない「factlessness」な番組を作ろうと努力している。
実際、娯楽番組でそうしているのであればそこまで問題ないとも思うんですよね。
視聴者を騙した"イッテQ"は続けるべきか 祭り企画は「誤り」ではなく捏造だ | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
以前もイッテQなんて番組が捏造のお祭り紹介で炎上していましたけども、『娯楽』を提供することを目的にするのであればそれはそれで概ね正しい方向性ではあるのでしょう。
「楽しくなければテレビじゃない!*2」を本気でやりすぎて、ニュースでもそうしてしまっている人たち。
今って1980年代じゃなくて2020年なんですけど。




個人的には私たち人間の業というか、行動心理学で指摘されるような私たち人間の本質的性質によるモノでもある、という感想にはなるかなあ。
それこそ感情を優先させた過激主義な現象って、制作側だけでなく受け手である私たち自身にもそうした傾向があることは絶対に否定できないのだし。
より厳密な『事実』即した番組ではなく、より面白おかしく演出された娯楽番組を望む私たち。


ニュースと冠していながらひたすら『娯楽』を追求している人たち。そしてそれを望む私たち人間の業について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:『民主主義の死に方』第三章「少額寄付と新しいメディア」

*2:FNS27時間テレビ (2004年) - Wikipedia