物語はどこに消えた?

人類を協力体制にできるだけの『物語』を作る程度の能力を持つ人を探しています。


ユヴァル・ノア・ハラリ、オードリー・タン対談「民主主義、社会の未来」全和訳 | AI新聞 | エクサコミュニティ
とても面白いお話。

人間は「物語」を語る動物です。私たちがこの地球を支配できたのは、我々が架空の「物語」を作り、それを信じることができる唯一の動物だからです。「物語」を作り出すことが、人間同士の協力関係の鍵です。

私たちが協力するのは、神々や国やお金などといった架空の「物語」を信じているからです。それらは自分の頭の中にしか存在しないのです。これは悪いことではありません。これが私たちの行動のほとんどすべての根底にあるのです。

ユヴァル・ノア・ハラリ、オードリー・タン対談「民主主義、社会の未来」全和訳 | AI新聞 | エクサコミュニティ

個人的にタイムリーで刺さったのはこの部分かなあ。物語=ナラティブの共有によってより大きな協力関係を気付きあげてきた私たち。まぁそれこそ『想像の共同体』と昔から言われてきた点からしてそうだしね。
ところが国家という枠組みを超えた、世界の大部分を射程に入れるだけの共同幻想という物語は、悲しかな未だ成立に至っていない。


冷戦終結で歴史を終わらせるリベラルな民主主義がそうなるはずだった時代もあったものの失敗し、
一部の人たちが信じている文字通り「地球の破滅レベル」な気候変動問題でも、有名な少女が世界の中心で叫んでみてもそれは実現できなかったし、
同様に「世界全体が同じ危機に対抗する」構図そのまんまであった現在のコロナ禍でも、やっぱり私たちが今目にしているの光景と言えば、まぁご覧の有様だった。
――それこそ我が身を振り返ってみても、その世界のまとめ役でああったはずのWHOに対して私たちが何を言ったかというと……。
少なくとも本邦においてすらも「コロナは世界の問題なのだから、WHOに協力しよう!」という機運は盛り上がらなかった。


それもこれも我々が協力できるだけの共通の価値観を育む『物語』がなかったからや! とこの天才の二人は仰っている。
まぁ確かにその通りかもしれないね。
あるいは本当に上記二人やリベラルな私たちが言う「多様性」がそれに代わるかもしれない。(中国やイスラムの方を見ながら)とって代わらないかもしれない。
まぁ多様性と、世界全体を射程に入れた物語ってちょっと根本的な矛盾が生じかねないんですけど……。



はたして、そんな『物語』が無知蒙昧な我々に授けられる日が来るのでしょうかね。
そしてもし本当に来るとしたら、一体どのような物語になるのでしょうね。



みなさんはいかがお考えでしょうか?