大義は僕らの手の中

警察を「defund」するのか「defend」するのか。かくして大雑把でラジカルで単純化された政治的メッセージが独り歩きし、争いは同じレベルでうんぬんかんぬん。


米ウィスコンシン州の抗議デモで発砲、3人死傷 17歳少年を逮捕 - BBCニュース
CNN.co.jp : 警官の黒人男性銃撃、当局が初めて経緯説明 まだ不明点多く 米ウィスコンシン州 - (1/2)
ということでまたもや黒人射殺騒動で揺れているアメリカであります。

銃撃事件は23日に同州ケノーシャで発生。犯罪捜査部門の発表によると、事件の発端はドメスティック事案だった。女性から通報があり、ボーイフレンドがいて、敷地に立ち入ってほしくないとの内容だった。

指令係は警官にブレークさんの名前を挙げ、ブレークさんが通報者の鍵を持ち、立ち去ることを拒否していると伝えた。それ以上の詳細については通報者が「非協力的」なため分からないとも説明した。

現場に駆け付けた警官は、ブレークさんを逮捕しようとしてテーザー銃を使ったが、それでもブレークさんを止めることはできなかった。ブレークさんは自分の車の周りを歩いて反対側に回り、運転席側のドアを開けて前かがみになった。

そのブレークさんの背中に向けて、ケノーシャ警察のラステン・シェスキー警察官が7回にわたって発砲した。それ以外の警察官は発砲しなかった。

CNN.co.jp : 警官の黒人男性銃撃、当局が初めて経緯説明 まだ不明点多く 米ウィスコンシン州 - (1/2)

うーん、まぁ、そうねえ。全く利害関係にないガイジンな第三者として見ても、ケノーシャ警察官のやっちゃった感は否めないかなあ。
ハーレムで群衆がパトカーに攻撃。警察組合「NYは危険。来るな」 - mashup NY
まぁその背景として、そもそも『警察』がBLM運動の盛り上がりによって心理的にも物理的にも追い詰められている、という状況も否定できないとは思いますけど。
そして更にはそのBLMの大規模抗議運動と警察の影響力低下で、無関係なのに略奪されてしまったり、燃やされてしまった人たちが確実に存在することも。


以前も日記で書いた記憶がありますけども、ニーメラーの共産主義者への攻撃についての詩が教えてくれるように、「その社会の自由や公正さ」を計る際に見るべきなのは、反対者や少数派がどのように扱われているのか、という点であるわけでしょう。
香港警察、民主派議員ら16人逮捕 昨年の抗議参加など理由に - BBCニュース
その意味では、少数派や反対派が現在進行形で虐げられている香港社会などはわかりやすい事例でもあるよね。
翻ってアメリカ社会で黒人が簡単に殺されている、という認識は、おそらく、正しい。


大坂なおみ選手も棄権 黒人銃撃で米スポーツ界に抗議広がる - BBCニュース
しかし、ここでそうした意見が政治を越えたアメリカ社会における一大ムーヴメントとして燦然と輝くようになると、必然的にその闇の部分も濃くなるわけで。
つまりここで(もちろんその正義はある程度までは絶対に正しい)ただち実現すべき正義であるという言説が社会で盛り上がれば盛り上がるほど、皮肉にも声に出しにくくなる(過激な)抗議運動への不支持や警察擁護なポジションは「軽視され無視されている少数意見」として反作用な輝きを持つようになる。
ここで因果は逆転する。
「黒人の命が普段どれだけ軽視されているかを知るべきだ!」というまぁ概ね反論の余地のない正論は、「黒人の命は大切だという運動によって、不当に虐げられている人たちが居ることを知るべきだ!」と叫ぶ狡猾な政治家たちの手によって相対化されていく。
不当に虐げられる人たちを救う為に治安を取り戻すべきだ、と。


だからどちらもその言葉に込めている正義を求める理路としては同じなんですよね。
盗んだポリコレ棒で走り出す - maukitiの日記
この辺は以前も日記ネタにしたお話ではありますけども、彼らは同じ棒を使って殴り合っているとも言えるんですよ。
それこそトランプ大統領の誕生過程から繰り返されてきた光景でもある。


「少数派やその意見の反対者が、それを押しつぶさんとする多数派にどのように扱われているのか見るがいい!」
彼ら彼女らは、同じ事件の、違う部分を見ながら、同じセリフを叫んでいる。
かくしてその相互性の恣意的な切り取りによって、一体「虐げられている人たちは誰なのか」という対立構造が政治問題・文化的闘争として浮上することになる。




さて、その上で、アメリカ社会で本当に「置き去りに」されているのは一体どのような層なのでしょうね。
もちろん政治問題と文化闘争を続ける彼ら彼女らは、自分たちが「見ている」「都合のいい」人たちをして、そうなっているだろうと叫ぶわけですけど。
違う国や違う文化圏でそれをやっているならともかく、これを同じ国内でやっていること自体が現代アメリカの分断の象徴だと言われるとまぁその通りでもあるんですけど。
分断しているからこうなっているのか、それともこうした対立が分断を生んでいるのか。


まぁどちらにしても、黒人のオバマ大統領の「後に」かのようなトランプ大統領が実際に誕生しそれなりの支持を得ていることが、実際にアメリカ社会に『分断』が存在していること自体は否定しようがない。


おそらくは、こうしたグレーの答えを正しくグレーだと答えられる政治家こそが求められているんでしょうけど、まぁ期待されていたオバマ大統領も結局はそれに失敗し分断の流れを止める事はできずに、結局はトランプ大統領誕生への道を舗装してしまったわけで。
やはり、何もかんも私たちバカな有権者が解りやすい政治を求めてしまうのが悪いのだろうか。




アメリカにもっと神の御加護がありますように。