人間未満の悪魔の子たちをやっつけてやりたいと思う気持ち

本音と建て前を分離できない、正直で誠実すぎる人たち。


石垣のりこさんはTwitterを使っています 「総理といえども「働く人」。健康を理由とした辞職は当然の権利。回復をお祈り致します。 が、「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」を総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の「選任責任」は厳しく問われるべきです。その責任を問い政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます」 / Twitter
白井 聡 - 荒井由実のまま夭折すべきだったね。本当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。ご本人の名... | Facebook
ということで何故か――ぶっちゃけコレはきちんと研究する価値のあるテーマだとはちょっと思ってます――安倍さんの退陣騒動で余計なことを言ってしまう人たちであります。
今回も結局前回と同じ辞任理由になってしまったせいか(その前に辞任を口にしている点で前回とは違うと個人的には思っていますが)、上記の人たちに限らず一杯いて、思ってしまうこと自体はまだセーフでも、それを実際に口にしてしまうのは、まぁ色々違う次元に生きている人たちだよなあといつも生暖かく見守っています。


その政治的意見や価値観を批判するだけにとどまらず、その発言者の人格や権利までをも否定してしまう人たち。
もちろん反対側のネトウヨな人たちの一部には「韓国人や中国人には人権はない!」と吹き上がっている人も居て、ある種の我々人間の普遍的野蛮さを感じられて趣があるよねえ。



ともあれ、でもまぁ第三者から見ても(おそらくは)彼らのこれまでの論理に従った、一貫性のある誠実な行動だと説明できるところでもあるんですよね。
建前など知ったことではないと、その野蛮なホンネを剥き出しに。
つまり、安倍政権は絶対悪であり、故にそれを支持する『悪魔の子』である彼ら彼女らも同様に、自分と同じ権利を持つ同じ人間ではない。
人間未満である。
そんな悪魔の子である人間未満の存在に、難病だからと「配慮」すること自体が罪である、と真面目に考えている人たち。
あるいはそうした確信を持つ支持者やフォロワーに向けて発言をしている人たち。
まぁ今回の日記の元ネタである『悪魔の子』という言葉が聖書にあるように、実際に「カソリックでなければ人ではない」という時代もかつて長くあったのだから人類社会にとってそこまでユニークで異端な考えかと言うとやっぱりそうではないと思うんですよね。
個人的にはやっぱり、21世紀になってもそれかよ、とは思ってしまうんですけど。




分断された相手陣営の中心に向けて「悪人に人権はない!」とさけぶ - maukitiの日記
つい先週も、アメリカ社会の分断をして「悪人に人権はない」という日記ネタを書きましたけども、その「日本版」がこうした安倍首相とその支持者には何を言ってもいい=むしろ配慮する方が間違っている、とする人たちの存在だということなのでしょう。
なので、上記のような本邦で愉快な言動を見せる彼ら彼女らを殊更に嘆いたり笑うのもちょっと違うかなあと。
こうしたアメリカだけでも日本だけでもない世界に広がる分断構造が示唆しているのは、むしろ彼ら彼女らのような「敵対者を人間扱いしない」という空気が再び広まりスタンダードになる、かもしれない、可能性だと思うんですよね。


つまり「(相手を同じ人間扱いするなんて)おっくれってる~」と笑われるのは、敵対者にも権利があるとか古臭くヌルいことを考えている我々の方かもしれないのだ。
どちらにしても、かつて我々が生きていたより野蛮で、より素朴で、より単純化された世界を望む人たちは上記のように増えつつある。
まぁそれが本当にアベ政治のせいなのか、あるいはトランプ政治のせいなのかは解りませんけど。
同じ人間ではない悪魔のような『敵』を、とにかく解りやすくやっつけてやりたいと素朴に望む人たち。
それは政治的左右の両極から、同時に押し寄せてきている。


それを野蛮な世界と呼ぶのか、あるいは善悪がはっきりした解りやすい世界と呼ぶのか。
はたして我々の生きる世界は一体どちらへ向かうのでしょうね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?