われわれはかしこくないので

それ故に『不都合な事実』を隠したがる私たちと、独裁者の距離はどれくらい?



【悲報】つるの剛士氏「うちの畑も最近パクチーやられました」「目星は畑近くの工場で働いてる外国人」→米山隆一氏や町山智浩氏に絡まれる - Togetter
つるの剛士「外国人に畑のパクチー盗まれた」 そのつぶやきが、“差別”である理由 - wezzy|ウェジー
『被害者しぐさ』というこれまたミームになりそうな言葉で話題になってたアレ。

目次
農林水産省が注意喚起
つるの剛士氏「うちの畑も最近パクチーやられました(現行犯でしたが※「日本語わからない」の一点張り)」
警察は呼ばず
「見つけたのは義理の弟」「次は通報」
「何人?」→「2人。」
「一応目星がついていますので。畑近くの工場で働いてる外国人。」
防犯カメラを設置
犯人が外国人だと言った事に対して突っかかる人たち
米山隆一氏参戦
高須院長も参戦
町山智浩氏参戦

【悲報】つるの剛士氏「うちの畑も最近パクチーやられました」「目星は畑近くの工場で働いてる外国人」→米山隆一氏や町山智浩氏に絡まれる - Togetter

うーん、まぁ、そうねえ。
個人的にも「被害者である」つるのさんが迂闊である、という批判にはまぁ確かに一理あると思います。

 「外国人に野菜を盗まれた」ことが事実であるとして、その事実をそのまま伝えれば「日本で暮らす外国人全般」への人々の憎悪を煽りかねないことや、日本でマイノリティとして生活する一般の「外国人」をどれだけ苦しめることになるかを、よく考えてみてほしい。それでもなお、「自分は被害者だ、事実を口にして何が悪い」と言うのだろうか。

つるの剛士「外国人に畑のパクチー盗まれた」 そのつぶやきが、“差別”である理由 - wezzy|ウェジー

簡単に憎悪扇動に乗ってしまう愚かな私たち、なのだから。
まぁ概ねその通りだよね。
私たちは正しく文脈を読み取ることもできないし、なんなら書いてもいない行間を読み取ってしまうし、『属性』を併記されるとしばしば何でもかんでも一緒くたにし直結してしまいがちだから。うっ……当日記でもアレやコレや頭の痛くなる記憶が……。


つまるところ、われわれはかしこくないので。


ただ、この問題に揺れているのは本邦だけではなく、割と先進民主主義国家のどこでも似たような問題を抱えているわけで。
左派はなぜケルンの集団性的暴行について語らないのか(ブレイディみかこ) - 個人 - Yahoo!ニュース
ヨーロッパでも犯罪報道における移民や難民という『属性』触れることについて過剰に配慮しているのではないか、というのはずっと言われ続けている問題でもあるわけでしょう。そうした構図があってこそ、実際に選挙結果として反移民な極右政党の台頭を許すことになっているわけで。
日本の方が「まだ」マシだよねえ。






ここで面白い構図だと思うのは、上記の「われわれはかしこくない」ので言葉を選べという『正論』の言葉を借りるなら、まさに同じ論理で中国が香港でやり始めているような、独裁国家が「政府批判」を禁じているのも同じ理由でもあるわけでしょう。

「政府に弾圧された」ことが事実であるとして、その事実をそのまま伝えれば「我らが政府」への憎悪を煽り社会に混乱をもたらしかねないことや、この国で平穏に生活する一般の「国民」をどれだけ苦しめることになるかを、よく考えてみてほしい。それでもなお、「政府が悪い」と言うのだろうか。

社会の安定と秩序維持のために、彼らの政府に都合の悪い情報を流すのは禁止する、という手法もある程度まで合理性があるわけですよ。
反政府言説が広まり政府の権力が弱体化し、社会に混乱がもたらされることになれば、困るのは政府それ自体だけでなく、一般の人びとも同様であることは間違いないのだから。
これだけ外国から色々と言われながらも、それでも中国共産党が国内的にそれなりに支持されているのもそういう理由でもあるわけでしょう。




差別にならない為に『外国人』という言葉を使うべきではないという私たちと、『社会の治安維持』のために政府に都合の悪いことは言うべきではないという独裁者、両者の距離はどれくらい?
つまり、ここで「外国人という言葉を使うべきではない」と言うのであれば、それと同時に、どの情報をどこまで一般社会に流通させるか・させないのか、という点もきちんと広くすべき議論でもあるわけでしょう。
我々は横暴な独裁者ではないのだから。
――それをせずに、なんとなく、自分がそう思うから、というどこまでも恣意的な理由で制限しようとするのはまぁあんまりよろしい手ではないよね。
むしろ、そうした「何で外国人と言ってはいけないんだ!」と反発する人たちの一定以上は、そうした曖昧でガバガバな基準に不満を覚えているのだろうと僕は思っています。


ということで、差別に反対する良識や知識あるリベラルの人たちには、是非とも『独裁者しぐさ』とは一線を画したオープンで透明性のある議論を通じて、差別を抑制するために「どの情報をどれだけ制限するのか」について語ってほしいと願っています。
……今回の件では、まったくそれについて語ってくれる人は見当たりませんでしたけど。
「外国人とつけるのはいけない」――のであれば、それが許される属性と許される属性のラインは一体どこにあるの???


まぁ上記ヨーロッパでもアメリカでも、きちんとそれについてオープンの場で語る人たちはまったく見られないからこそああなっているのだ、とも言えてしまうわけですけど。
……良かった、差別反対という絶対的正義に甘えて、ガバガバ論理で情報統制をして多くの実際の被害者たちから恨みを買っているのは日本社会だけじゃなかったんだ。
今回のつるのさんの騒動も結局そういうことなんじゃないかな。
反リベラルなグローバルスタンダードに追い付いてきた日本社会と言うことはは出来るかもしれないね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?