どちらも「宗教は特別である」と考える人たちの両極端な反応

そのどちらもが「宗教を特別扱い」している故に、自由を担保する意義について両者は真逆の解釈をすることになる。



「私たちは恐れていない」 教師殺害に仏各地でデモ 写真18枚 国際ニュース:AFPBB News
教師殺害で生徒4人拘束 容疑者に協力か フランス 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News
フランス教師殺害に反発、国内各地で大規模集会 「私は教師」 - BBCニュース
容疑者は学校前で生徒たちに探している教師がどれか教えろと パリ近郊の教師殺害 - BBCニュース
ということで「私はシャルリー」ふたたび。
ここでよくある無責任な言説でもある「どっちもどっち」と言ってしまうと、いつものように思考停止か日和見冷笑主義なんて怒られてしまいそうですけども、でもこの構図でこそ「どっちもどっち」という言い方こそが適切だとは個人的に思っているんですよね。
「表現の自由」論争についての適当なお話 - maukitiの日記
レスプブリカ・クリスティアーナは衰退しました - maukitiの日記
宗教に対する「表現の自由」は今も尚『特殊』を守る武器か、それとも新たな『普遍』か? - maukitiの日記
まぁこの辺のお話について、前回のシャルリー騒動でも割といっぱい日記書いてきたので、お暇な方はそちらも承前として見ていただくとして。




ともあれ、今回の「教師殺害」で改めて浮き彫りになったフランスの政教分離についての適当なお話。

パリ中心部のレピュブリック広場(Place de la Republique)では、デモ参加者らが「思想の全体主義に反対」「私は教師」などと書かれたポスターを掲げた。同広場のデモに参加したジャン・カステックス(Jean Castex)首相はツイッターTwitter)に、「私たちを怖がらせることはない。私たちは恐れていない。私たちを分断させることはない。私たちがフランスだ!」と投稿した。カステックス氏とともに、ジャンミシェル・ブランケール(Jean-Michel Blanquer)国民教育相、アンヌ・イダルゴ(Anne Hidalgo)パリ市長、内務省のマルレーヌ・シアッパ(Marlene Schiappa)副大臣も同広場のデモに参加。シアッパ氏は「教師、教育宗教分離論、表現の自由を擁護する」ために参加したと語った。

 2015年にイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載し12人が殺害された仏風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)本社襲撃事件の際、世界中に広まった「私はシャルリー」に共鳴し、デモ参加者の中には「私はサミュエル」と繰り返し唱える人もいた。他にも、デモ参加者は大きな拍手喝采の合間に「表現の自由、教える自由」と声をそろえて訴えた。

「私たちは恐れていない」 教師殺害に仏各地でデモ 写真18枚 国際ニュース:AFPBB News

「私たちがフランスだ!」とものすごい主語をデカく仰ってますけども、でもそれって確かに一面の真理でもあるわけですよ。
なんとなく島国というだけで日本の一体性を確信している私たちとは違い、大陸国家であるフランスは当然その国境の向こうの他国とは違うアイデンティティでもある「フランスがフランスであるための最後の一線」があるわけでしょう。
その価値観を以てして、フランスはフランスたりうる。


有名なフランス的な概念として「自由・平等・博愛」というものがありますけども、
まぁそれって要約すれば「王からも宗教からも自由であり、故に共和国において個人は等しく平等であり、つまりみな助け合う兄弟である」これこそフランスの根幹の価値観でもあるわけで。
その大前提がある国家で、「宗教に対する自由」を生徒に教えようとした人が殺されてしまっては、今回の件とモロにコンフリクトしてしまう。
フランスそのもの、国是への挑戦に等しくなってしまう。
そりゃ反発されないわけないよね。
「私たちもフランスである!」







ここで皮肉で面白いと思うのは、風刺に反発しテロをする犯人たちも、ここでデモをするフランス人たちも、そのどちらもが『宗教』というモノに対して特別扱いをすることが大正義だと確信している点だと思うんですよね。*1


教師の首を切るに至った前者は、まさに特別扱いされるべき信仰だからこそ風刺する自由など絶対にないと確信しているし、
ところが一方でこうしてデモをする後者たちは、まさに宗教は特別な存在だったからこそ絶対に風刺する自由を後退させてはならないと確信している。
何も宗教=イスラムを劣った存在としているから風刺しているのではなくて、むしろ逆なんですよ。
宗教による教権を正しく懸念し、備えているからこそ。


かくしてそのどちらもが「宗教を特別扱い」している故に、自由を担保する意義について真逆の解釈をすることになる。
結局、シャルリーから続くフランスの宗教風刺の問題ってここにいきつくわけでしょう。



いやあこんなの両立できるわけないよねえ。
どっちかが譲歩する以外にない。実際に、だからこそ共和国フランスはキリスト教権威に血と闘争を以て譲歩させたわけだし。
そうした視点からすると、まぁ郷にいては郷に従えという古典的文句に従うべきなんじゃないかとは僕は思いますけど。もしフランス人がイスラムが主流の国家で同じようなデモをしていたらこのフランス人頭おかしいんじゃないのって思いますし。
というか、そもそもだったら何で君たちの同じ国で一緒に暮らしているのよ??? と思わずマジレスが生まれてしまうよね。
…………それポリコレ違反かロジハラでは???



どちらもが「宗教を特別扱いする故に」絶対に相容れないだろうイスラムとフランスについて。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:この辺の感覚はクリスマスからウェディングに仏葬なんて、『宗教』に対して良く言えば融通無碍で悪く言えば節操のない私たち日本人にはちょっと理解しがたい構図でしょう。故に今回の件でも我々は割と的外れなコメントをしてしまう。でもまぁ日本人の僕はそんな日本人の性質がすばらしいとおもうよ。