MWO(Multipolar world order)にようこそ!

我々の信じてきた『普遍的価値観』の敗北でもあるんだよね、という悲しいお話。



香港の民主活動家3人、国安法違反で逮捕 米国への亡命計画か - BBCニュース
米総領事館、香港の活動家4人の政治亡命を拒絶 米中対立を避ける思惑か - 毎日新聞
ということでアメリカからも断られ逮捕されてしまったそうで。

香港の英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストによると、鍾氏は27日朝、米総領事館の向かいにあるコーヒーショップにいたところを逮捕された。

総領事館近くから撮影された映像では、カジュアルな服を着た数人に鍾氏が連れ去られる様子が確認できる。

学生動源によると、鍾氏ら同団体の元メンバー3人が警察に拘束された。

警察は逮捕について、進行中の捜査の一環だとした。

真偽不明の複数報道によると、逮捕から数時間後に活動家4人が米総領事館に亡命を求めて駆け込んだものの、追い返されたという。

総領事館側は、複数の通信社からの問い合わせに答えていない。

香港の民主活動家3人、国安法違反で逮捕 米国への亡命計画か - BBCニュース

まぁアメリカも今クッソ忙しいからしかたないよね。大統領選挙も終盤でそれどこではないし。
そもそもこれまでだってウイグルのことや香港デモの横暴など散々見ていながら、口で非難することはできても実質的な行動としては――皮肉にも経済制裁に踏み切ったトランプのアメリカ以外は――ほとんど何もしてこなかったのだから。
「米中対立を避ける思惑か」と言ったってねえ。そもそも日本だって見捨てているのには変わりないのにね。かといって決定的に対立されても困るし。
今更ミクロな個人である彼らを見捨てたところで何の腹が痛むことがあろうか。
まぁそれと同時に普遍的人権という概念まで見捨ててもいるんですけど。



この辺の「多極化世界の残酷な現実」というのは割と関心領域ど真ん中でもあるので、これまで日記でも散々書いてきたお話ではあるんですよね。
嵐作戦ふたたび? - maukitiの日記
「なぜアメリカは自分たちのことを軽視するのか」という言葉の裏側の変化 - maukitiの日記
パクスアメリカーナ以後の世界にこんにちは - maukitiの日記
残酷な多極化世界のテーゼ - maukitiの日記
アフガニスタンイラク戦争から見え始め、ついにシリアとクリミアでは決定的になった多極化世界の傾向について。

おそらく私たちが生きている間にという意味で「やがて」やってくるだろう多極化世界の可能性について。


そんな未来について、日本でも楽観的な人たちが「横暴なアメリカではなくなる」的な事をいう人は少なくなかったわけですけども、まぁもちろん平和な多極化世界がやってくる可能性だってあるわけですよ。
――例えば超大国の影響力がなくなっても、国際関係上の揉め事を条約や国際法に則って解決することができるなら。
もし、そうならなければ……多極化世界はきわめて残酷な世界を生むことになる。そこでやってくるのは、複数地域でそれぞれに政治的経済的大国=極がそれぞれに「地域の警察官」「地域の裁判官」となる世界であります。それ以外の弱国は従うか、あるいはどこかの援助を受けて反抗するしかない。
何が正義で何がそうではないか――まさに冷戦後あったアメリカのように――該当地域の強国がそれぞれに決める。その意味で言えば、例えばヨーロッパや北米辺りでは概ね今と変わらない世界が維持されることになるでしょう。その支配者が変わらない以上、彼らには世界が多極化しようがそこまで致命的な影響はないから。


しかしそれ以外の地域では、該当地域の最強国が何が黒で何が白かを決めるようになる。

残酷な多極化世界のテーゼ - maukitiの日記

上記の香港でも、あるいはウイグルも、こうした構図の下に我々は彼らの人権問題に(口は出せても)事実上何もできないわけでしょう。
だってそれは大国中国という極の内部の話でしかないのだから。
部外者である我々は口を開くことはできても、実際の行動としては沈黙することしかない。
多極化世界秩序にようこそ!





さて置き、以前の日記をコピペするだけでは芸がないので関連して適当なお話も。
そもそもこの『人権』を大義名分・外交カードにする手法が生まれたのって、連合国――というよりはほぼアメリカが主導して――ナチスドイツの戦争犯罪を明確に裁くために後から生み出したモノなんですよね。
本邦では当事者だったということもあって極東裁判の問題点は割とよく知られたお話でもありますけど、事後遡及的に「平和に対する罪」や「人道に対する罪」を認めた目的って、日本というよりはまずナチスドイツが主眼にあったわけで。
彼らは人権問題を生み出し、そしてそれを裁判で利用した。


ところがぎっちょん、あれから70年経った今では「中国と決定的に対立しない為に」そんな人権問題を敢えて無視しようとするアメリカ。
人権とはいったい……うごごご!!
まぁ戦争をしない為なのだから、多少人権を無視したってしかたないよね。
次の戦争が終わったらまた「平和に対する罪」や「人道に対する罪」で相手を裁いちゃえばいいもんね。
今度は事後遡及って言われる心配もないし!(だったら既にその概念がある今は何をしているのかという不作為問題はさて置く)




しかし『人権』という概念の成り立ちと、そしてその恣意的過ぎる運用方法がこうして現実の光景として繰り広げられると、人権とは普遍的価値観だと信じてきた私たちリベラルは立つ瀬がないよねえ。
結局それは現実政治の道具でしか機能していないだろう、という批判にマトモに応えることができない。


かくして、多極化世界あるいは二極化世界が世界に現出することで、私たちが信奉していた『普遍的』とされる多くのリベラルな価値観の射程範囲までも明らかになりつつある。
普遍的(笑)


だからこそ、以前の多極化ネタ日記でも書いてきたようにリベラルな僕としてはこんなことになってしまう位ならアメリカ一極の方がまだマシだろう、というポジションではあったんですよね。
だって多極化にしろ二極化にしろ、そうした世界というのはつまるところ「自分以外の極はどうなってもいい」という普遍的価値観とはかけ離れた残酷で弱肉強食な世界になってしまう可能性が高いのだから。
無政府状態な国際関係という常態に。
まさにアメリカというだけでなく、私たち日本も同罪として「中国と戦争になる位ならそれは無視した方がいい」と合理的に判断しているように。
やっぱりキッシンジャー先生の言うようなリアリズムこそが国際関係を動かしてしまうのか。


Multipolar world orderあるいはこの先に待っているかもしれないBipolar world orderについて。


みなさんはいかがお考えでしょうか?