世界でいちばん『核なき世界』のしじしゃたち

『核なき世界』の「歴史の正しい側にいる」の正しさってどらくらい?
――そのためなら暗殺をしても許されるくらい?



イラン有数の核科学者、テヘラン近郊で殺害 外相は「国家によるテロ」と非難 - BBCニュース
イラン核科学者暗殺 開発計画で中心的役割 実行犯不明 - 毎日新聞
ということでイランの核開発の中心人物であった科学者が暗殺されてしまったそうで。

ロイター通信は2014年、西側外交官筋の話として、「もしイランがいつか核兵器を開発したならば、ファクリザデ氏がイラン製爆弾の父と呼ばれるだろう」と伝えている。

イランは、自分たちの原子力開発はあくまでも平和目的に限ったものだと主張している。

しかし最近では、イランが濃縮ウランの製造を拡大しているという新たな懸念が浮上している。濃縮ウランは、民生用の原子力発電においても、核兵器製造においても、重要な要素。

イランは2015年、イギリスやアメリカなど6カ国と核合意を結び、濃縮ウランの製造を制限すると約束した。しかしドナルド・トランプ米大統領が2018年に核合意から離脱を決めて以降は、イランもこの合意内容に抵触するようになった。

イラン有数の核科学者、テヘラン近郊で殺害 外相は「国家によるテロ」と非難 - BBCニュース

うん、まぁ、そうねえ。
実際にイランの長期的核開発計画にどのような影響を与えるかはともかくとして、ウォルツァー先生の『最高緊急事態』から考えると色々と面白い議論ネタにはなると思うんですよね。


(おそらくはイスラエルであろう)犯人たちは、おそらく心の底から『核兵器開発』を阻止・あるいは遅延させようとしてこの暗殺という行為に走ったわけでしょう。
まぁそれって『核なき世界』を目指す人たち、例えばICANの目的なんかともかなり共通する目的でもあるよね。
核兵器をこれ以上増やしてはならない」というそぼくな気持ち。
――うんうん、それもまた『核なき世界』だね!





ここでクッソ皮肉で愉快な構図になっていると思うのは、一般的にはそうした『正義』の正しさについて共有される度合いというのは、ほとんどそのまま手段の正当性の幅をより広げることになる、という前提を私たちが持っているわけでしょう。
そりゃそうだよね。たとえば生命の危機が直近に迫っている状況では、多少の(ここ重要*1)不当行為が容認されるのは当然である。
つまり、私たちは一般により重要な目的であればあるほど、多少の(ここ重要)手段の逸脱は許されると考えている。


ということで、核なき世界を信じ歴史の正しい側に居るとされる私たちは、ここでその目的達成の為の「手段」の射程・正当性――ひいてはその「目的」そのものの正当性の度合いが問われることになる。
核兵器の無くすためならば、我々は一体どこまでの手段が許されるのであろうか?
そもそも核兵器廃絶という正義は、一体どこまで正しくない手段を許容できるのであろうか?


もちろんここで「暗殺をしても核なき世界には貢献しない」と上手く議論を回避しようとすることも可能でしょう。
しかしその場合でも、もし「暗殺に効果がある」と確信できるのであればそれをやっても良いのだろうか、と回り込まれてしまうのは避けられない。
実際に、おそらく、今回暗殺を計画していたイスラエルの人たちはそう考えていたのでしょうし。僕も、完全に止めるのは無理でも遅らせるくらいの効果がまぁあると思うよ。


つまり、核科学者の暗殺を容認するに至った人たちというのは、ほとんどそのまま『核なき世界』という正義の射程について、半ば狂信的なまでに支持している人たちである。
(犯人であろうイスラエル自身が核兵器を秘密裏に保有しているらしいことから目をそらしながら)
それこそ「暗殺はよくない!」とマトモな事を言ってしまう人たちと同じかそれ以上に、本気で、今すぐにそうすべきだと、『核なき世界』の絶対的正しさを確信してていることの証左でもある。


『核なき世界』は絶対的正義であり、故に暗殺すらも許容される。後世の歴史がそれは正しいとそれを証明してくれる。
Q.E.D.








ちなみに、我らがオバマ前大統領なんかは「テロとの戦いに勝つ」という大義の為に、無人機を使ってそれはもう暗殺をしまくっていたわけであります。

つい先日、バラク・オバマ前大統領がこの2年間で5万発近い爆弾を世界中でばら撒いたことが、米外交問題評議会のサイトで明らかにされた。2016年は2万6171発、15年は2万3144発を投下した。1回の爆撃で複数の爆弾が落とされることや、発表されている国々以外への投下を考えれば、より増える可能性は高い。

さようなら、オバマ「あなたは史上最悪の爆弾魔でした」 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

オバマ大統領は、「テロリストに勝つためならば、暗殺は許容される」と考えていた。
今回の犯人も、「核兵器開発を止めるためならば、暗殺は許容される」と考えていた。


ここで多少なりとも『核なき世界』に賛同する私たちは、無人機による暗殺を許可するに至ったオバマ大統領と同じように、そのジレンマに直面することになる。賛同しない人はまぁ好きなお寿司のネタでも考えておけばいいんじゃないかな。

  • 『核なき世界』の為ならば、暗殺は許されるだろうか?
  • 「あやまちはくりかえさない」為ならば、暗殺は許されるだろうか?



歴史の正しい側にいると自称する『核なき世界』を目指す人たちは、一体今回の核科学者暗殺という暴挙について、一体どのような評価を下すのでしょうね。

  • イスラエルはよくやった! と彼らの拍手喝采を送るのか。
  • 非合法な暗殺なんてとんでもない! と『核なき世界』の正義の射程を縮めることにするのか。


いやあどっちに転んでも面白い展開が待っていそうでwktkするよねえ。
あるいは浅学で不信心者な僕には、まるで見当もつかない「スカっとICAN!」な解答があるのかもしれない。個人的にはむしろそっちの方がまた一つ賢くなれそうなので期待しています。


みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

*1:この曖昧さが所謂「正義の暴走」を招くわけですけど。