多文化社会を支える「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」精神の限界

10年経っても答えが見つからない私たち。



「みんなの文化を尊重」かえって溝広げた? 「多文化主義」問い直すヨーロッパ:朝日新聞GLOBE+
なんか多文化主義ネタを久しぶりに見た気がするなあ。

ブリンケモさんの活動を支援するウエスト大学のヨーラン・アダムソン准教授(56)は「多文化主義の理念に固執し、移民を民族文化に押し込めた結果、一般市民との溝を逆に広げてしまった。橋をつくるつもりが、壁をつくってしまった」と指摘する。

欧州では2015年が移民問題の大きな転機となった。主にシリアからの難民が押し寄せて起きた社会不安が、「移民排斥」を訴える右翼政党に勢いを与えた。それはスウェーデンでも同じだった。

「みんなの文化を尊重」かえって溝広げた? 「多文化主義」問い直すヨーロッパ:朝日新聞GLOBE+

2010年にメルケルが高らかに「多文化主義は完全に失敗した」と言ったときから、まるで成長していない……。
結局あれから10年以上たっても、頭を悩ませ続けている最大の問題――多文化主義を維持しつつも社会が分断されない程度には同化させたい――は、何も解決していないんですよね。


個人的にも割と興味深いテーマではあるので、これまでもかなり何度も書いてきた多文化主義ネタについて。
デラシネな人びと - maukitiの日記
「文化的自由の為の多様性を維持する為に文化的自由を制限する」人びと - maukitiの日記
狂信者と「社会」を分かち合う苦難に耐えられるか - maukitiの日記
今も昔もドイツ国民にとっての最大の外交問題 - maukitiの日記
「答えが見つからないまま半死半生でギリギリ生き残っている多文化主義」という日記を2012年に書きましたけども、

一見すると私たちはその美しき多文化主義を謳いながら、しかし実際には、一体何処まで文化的自由を擁護して、一体何処まで文化的保守主義を擁護するのか、その合意さえ得られていない。
そうやって現状の多文化主義はその内部に抱える根本的な矛盾をまぁ見て見ぬフリをして棚上げしてきた為に、結果としてお互いにどこまで口を出していいのかさえ解らない人びとだらけになってしまう。そして当然の帰結として、あるべき紳士淑女の態度として、お互いを理解しているという取り澄ました顔をしながらその実「相互無視」を続けるのです。だってどこまでが『自由の擁護』で、どこから先が『干渉』か、そしてそもそも多文化主義は何を何処まで擁護しているのか、合意された明確な答えなんか誰にもわからないんだから実のある対話なんてしようがない。しかし合意するにはやっぱり対話が必要なわけで。ザ・鶏と卵。

「文化的自由の為の多様性を維持する為に文化的自由を制限する」人びと - maukitiの日記

個人的なポジションとしても、8年経ってもまだここから全然進歩できていないかなあ。その解決策となる答えについては、浅学な僕にはまったく思いつきません。


まぁ異邦人たちとの共存、というのはおそらく人類史においても普遍的に厄介な問題であり続けたのは間違いなわけだしねえ。
そう簡単に、「(努力すれば)解決できる!」なんて無責任に言う方が傲慢でおこがましいとはちょっと思うんですよね。それってぶっちゃけ無責任すぎるでしょう。
――本邦でもしばしば見られる地獄のように、その負担を実際に対応する現場の人たちに丸投げしているのとまるで変わらんじゃないですか。挙句、失敗したのを努力(善意)が足りない、とか言い出す人までいる辺りそっくりだよねえ。
だから僕は移民受け入れに苦しむ人たちに「もっと努力しろ!」なんて、部外者として簡単なことを言う事はできない。


もちろん、だからといって、それを目指さない理由にもならないわけですけど。
しかし、だからといって、目指しているからといって、すぐに解答が見つかるわけでもない。



今回のスウェーデンの多文化社会の苦しみも、上記日記を書いていた2012年頃から既に指摘されていた構図ほとんどそのまんまですよね。
やっぱりまるで成長していない。いや、状況は固定化し硬直化され更に悪化しているかもしれない。

スウェーデンをはじめ北欧諸国では一般的に、国家と市民との相互信頼度が高いといわれる。国家の方針に市民は従い、法律を守り、高額の税金を払う。国家側は市民の医療や教育、インフラ整備に責任を持つ。

しかし、ソマリアでは、そうはいかない。内戦状態が続くこの国では、そもそも国家が機能を失っている。そこに暮らす人々にとって、国家の代わりを担うのが「氏族」。氏族社会内部の出来事は、内部の話し合いで解決される。

この発想がそのままスウェーデンに持ち込まれているという。例えば、移民同士の殺人事件が起きれば、スウェーデンの司法制度でなく、長老の裁定で加害者の家族が被害者側に賠償金を支払う。現地で移民支援の活動を続ける元ジャーナリストのペール・ブリンケモさん(60)は、長老らと密接な協力関係を結ぶ一方で、スウェーデン社会とソマリア系社会との間に越えがたい溝があるとも感じているという。

スウェーデンの法理念から離れた制度がパラレルに存在している。司法当局にとっては衝撃的な事実で、文化の衝突とも言える状態だ」

「みんなの文化を尊重」かえって溝広げた? 「多文化主義」問い直すヨーロッパ:朝日新聞GLOBE+

例えばこの場合、スウェーデンの司法制度をまったく必要としていないソマリア人社会を、スウェーデン社会は一体どのように受け入れればいいの?

  • 多文化主義だからと、ソマリアの氏族会議で犯罪を裁くことをスウェーデンは容認するべきなの?
  • 多文化主義などかなぐり捨てて、スウェーデンの「文明的()」な司法制度を彼らに受け入れるように説得し、つまるところ同化させるべきなの?
  • あるいは受け入れる側のスウェーデン社会が「努力()」して、受け入れやすいように法理念を後退させるべきなの?


おそらくは幸せなことに『受け入れる側』に居る私たちが考える、移民が受け入れられる状況を生み出す努力の、その実際の行動の具体的内容について。
今回の場合のような、スウェーデン社会の法理念とかけ離れた制度を持つ移民たちと、一体どのように受け入れられるように努力すればいいの?
つまり、そうした合意点こそそれこそ我々「リベラル」を自称する私たちの根幹でもある、『普遍的価値観』を意味するモノであるはずなんですけど……。
しかしリベラルな私たちは、まさにリベラルであろうとする故に、その普遍的価値観を移民たちに押し付けることができない。
それって普遍的価値観ではなかったの?
いやあこれ以上ない程見事で、典型的な「リベラルの限界」というヤツだよねえ。


かつてメルケルさんは、有名な発言である「多文化主義は完全に失敗した」の後に、故にもっと努力が必要である、と述べていたわけですよ。

こうした現状に対し、メルケル首相は「多文化主義は完全に失敗した」と発言し、そのために「(多文化社会をつくり移民を"放置"するのではなく)移民が社会に溶け込み、社会が彼ら/彼女らを受け入れる状況を生み出すために、ドイツはもっと努力しなければいけない」と国民に呼びかけたわけである。

メルケル首相「多文化主義は完全に失敗」ー今この発言に注目すべき理由 | ハフポスト

その、もっと努力しなければ、の具体的な中身とは何???
リベラルなメルケルは何も答えてくれない。



その具体的目標や方策を示さないまま、結局「現場の努力」や「個人の善意」に頼り、そして当然の帰結として限界を迎えつつあるのって、まぁとっても現代日本社会に見られるようなブラック企業しぐさぽくってくすっとしてしますよね。
――よかった、上層部の無策のせいで現場に無限に負担が押し付けられるのは、ブラックな日本社会だけじゃなかったんだ!


多文化主義を維持しつつも移民たちを社会に受け入れる方法について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?