民主主義政治のピリオド、その向こう側を目指す人たち。
検事総長懲戒、支持率低下でも文在寅の背中を押す韓国政治のある悲願(木村 幹) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)
お隣の韓国で検事総長懲戒をめぐるゴタゴタがニュースになっていて、よく解らないのではえ~と眺めていましたけども、なるほどなぁと納得するしかない専門家である木村先生による背景と文脈の解説が出ていたので、少しだけ適当日記。
そしてこの様な「民主化以後の民主化」の経験は、韓国の人々に顕著な政治的認識を齎す事となる。すなわち、行政や司法の任にある人々が自らの人事等を内部で決定するのは、権威主義政権下の古い慣行に属するものであり、その慣行は可能な限り排除されるべきである、という考え方である。
つまり、韓国においては、民主的に選出された政府が行政や司法の人事等に介入するのは、権威主義的な慣行を維持し、「民主主義的統制」に抵抗する「特権的な人々」を排除する「民主化」の一過程だと理解されたのである。
だからこそ、韓国においては、例えば時に最高裁判所や憲法裁判所の判事や長官を選び出す際においてすら、むき出しの党派的闘争が当然の様に行われる。彼らによれば、時にそれは政府に「民主主義的統制」が広まる過程であり、それ自身望ましいものだと理解されて来たからに他ならない。
検事総長懲戒、支持率低下でも文在寅の背中を押す韓国政治のある悲願(木村 幹) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)
今年最も話題となったのは「コロナ」 ツイッタートレンド大賞:時事ドットコム
日本では「#検察庁法改正案に抗議します」がトレンドで二位にまで入っていたことを考えると、まぁまったく真逆の発想で驚くよねえ。コロナが無ければ一位ですよ。
政権による検察人事の介入でも、韓国では法を改正するどころか直接に懲戒しちゃうとか。
#検察庁法改正案に抗議します
— 志位和夫 (@shiikazuo) May 9, 2020
検察には、時の総理をも逮捕することができる強大な権力が与えられています。検察の人事に内閣が介入することができるようになれば、日本は法治国家といえなくなります。
いまは大きな集会はできませんが、言論・表現の自由はあります。主権者として声をあげましょう!
志位さんからしたら韓国は法治国家じゃないのかな???
間接的に友好国の韓国が「法治国家ではない」とぶっちゃけちゃうなんて、いやあさすが共産党はロックだね!!1
うんうん、そうだよね、韓国が法治主義じゃないってよく反韓ネトウヨな人たちも言ってるもんね!
さて置き、ここで難しくだからこそ思考実験としては面白のは――法治国家かどうかはともかくとして――ではどっちが「民主的」「民主化」に即した社会であるか? という疑問だと思うんですよね。
おそらく日本人の私たちは志位さんの方に賛同するんじゃないかな、だからこそtwitterでもあそこまで大きなトレンドになったのでしょうし。
――しかし、少なくとも韓国の文在寅政権を支持する人たちは、そうではない。
それこそが更なる民主化へと進む道だと確信している。
選挙で選ばれた政権というのは、検察総長ひいては政府のすべての部署にまで「民主主義的統制」ができる権力を持つべきである。
まぁ確かに所謂「シビリアンコントロール」の原則に則った考え方でもあるんですよね。
志位さんの言葉を借りるならば、「時の総理をも逮捕することができる強大な権力が与えられている」からこそ、有権者の代表である政治家がその人事権を握らなければならない。
トレンド大賞の載るほどに反対していた我々日本人とはまったく真逆の発想。
それでは検察を含む政府の全ての部署にまで「民主主義的統制」が行き渡った時、そこに一体どんな社会が出現するのか。我が国とは異なる方向へと進む、隣国の「大きな民主主義の実験」の行方を冷静に見守る必要がありそうだ。
検事総長懲戒、支持率低下でも文在寅の背中を押す韓国政治のある悲願(木村 幹) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)
あるいは韓国の方法は間違っていて、愚かで感情的です~ぐ別の話題に気を取られてしまう愚かな有権者たちの『民意』よりも、テクノクラートなど専門家による政治こそ我々が目指すべき社会なのだろうか?
ランシマン的には、「既に終わっている(故に彼は今の民主主義政治の危機を『中年危機』と評している)」民主主義に尚も挑戦し前へ進めようとしている韓国政治は、日本の停滞した民主主義政治よりもずっと言祝ぐべき存在なのかもしれない。
我が国――どころか、おそらく世界規模で見ても、安定した民主主義国家たちとはまったく異なる形で、正しい民主主義社会を目指そうとする韓国の人たち。
彼らは周回遅れなのか、あるいは彼らこそ我々より最前線を走っているのか。
専門家の知恵か、民主的意見、我々は一体どちらをどれだけ尊重するべきなのだろうか。
そしてその上で、より「より民主的」「より民主的ではない」方法について、どのような基準で私たちは選択するべきなのでしょうね?
こうしてお隣の韓国と日本のそれを比較してみても、同じ民主主義国家にありながら答えは色々だよねえ。
浅学で無知蒙昧な僕にはどちらがいいかなんてとても言えないので、「検事総長懲戒」にも、「#検察庁法改正案に抗議します」にも、はえ~と眺めているしかできないわけですけど。
みなさんはいかがお考えでしょうか?