危機に際して政治家に『せんどう』を期待する人びと

それって『先導』? それとも『扇動』?



「菅語」を考える:緊急事態なのに「あいさつ」 響かない首相会見 青木理さんが考えたメディアの責任 - 毎日新聞
最近通常日記でも少し書いている「危機感のない」菅首相のお言葉について。

 ◆具体性にも熱量にも乏しく、心に何も残りませんでした。むしろあぜんとしましたよね。たとえば冒頭発言の最後に語った「いま一度、ご協力賜りますことをお願いして、私からのあいさつとさせていただきます」というせりふ。緊急事態の宣言は「あいさつ」ですか。いや、言葉尻を捉えるつもりはなくとも、危機感や切迫感がみじんも伝わらない。もはや笑ってしまうほどです。

「菅語」を考える:緊急事態なのに「あいさつ」 響かない首相会見 青木理さんが考えたメディアの責任 - 毎日新聞

 小柳はメルケル首相のスピーチに「感動して泣きそうになりました」と切り出し「何時も冷静にお話されるメルケルさんが拳を握り時折、祈る様に両手を合わせ国民に訴え掛けるスピーチ。原稿等は殆どご覧にならず、ご自分の言葉でご自分の【心】で強い口調で訴え掛けました」と感動した様子だ。

 一方で「日本には何故、悲しいかな。この様なリーダーシップをはかれる人がいないのだろう。日本の政治家は、スピーチが何ともまぁ~下手だ」と日本の政治家を批判。

 続けて「もっと国民の心に響く、私達が納得出来る、信頼してついて行こうと思える言葉と話し方を勉強して欲しい!! 各国のリーダーのスピーチを見て学んで欲しい」とした。

小柳ルミ子 メルケル独首相のスピーチに感銘「日本には何故、リーダーシップをはかれる人がいないのだろう」 | 東スポのニュースに関するニュースを掲載

「響いてこない」「感動しない」っていう主観で述べられても……、というマジレスはさておくとして。
まぁ坊主憎けりゃ袈裟まで憎いじゃありませんけど、初めから現政権に批判的なポジションとして彼が何を言ってもまともに話を聞く気がない、という人たちもいらっしゃるのは間違いないでしょう。
――その上で、できるだけ客観的に見て、今回の菅首相の言葉に危機感や切迫感が主観としてあったかと言うと、まぁ僕もあんまり無かったという点にについては同意します。
自称リベラルな僕のポジションとしては、むしろファシズムな足音とは真逆な世界であり安心する、という感じではあるんですけど。




そもそも「響いてこない」という言葉の裏にあることって、「ココロに響くような演説をして欲しい」ということでしょう。
……それってしばしば戦前戦中の忌むべき過去として評してきた「危機を煽って大衆を行動させる」政治家と一体何が違うの?
と、思わず天邪鬼なことを言いたくなってしまう構図ではあるんですよねえ。
私たちの「ココロに響き」「信頼してついて行こうと思える言葉と話し方」なんて、まるで演劇か何かの登場人物のような劇的なスピーチでも期待してるの?
もしかして:ヒトラー
もしかして:ゲーリング
もしかして:ゲッベルス




それこそ平時であれば、むしろそうした「国民の危機感を煽る」扇動的な演説こそ批判されていたはずでしょう。
感情的な言葉よりも冷静さを。
ところがぎっちょん、2021年の今ではご覧の有様ですよ。
まぁ実際危機にあるのは間違いないしね。かくして右からも左からも、菅首相に対して「首相の先導(扇動)が足りない」と批判される始末。


だからまぁ気持ちはわかるんですよ。
緊急事態な今だからこそと、政治指導者に強い言葉で導いてほしいと素朴に願ってしまう私たち。
冷静さよりも感情的な言葉を。
でもその構図って私たちが「民主主義政治の失敗例」としてさんざん見てきた光景であるはずでしょう。
落ち着いている時には「自分の頭で考えよう」と言えていたはずが、まぁ実際に危機に直面してしまうと途端に手の平を返して政治家に先導してほしいと願ってしまう人びと。
それこそ歴史を振り返ってみても、何度も現れた光景だよね。


民主主義を愛する僕としては、最初にも書いた通り、やはり菅首相のクソのような演説を見て安心してしまうかなあ。

世界の多くの憲法では、緊急時に行政権を拡大することが許されている。そのため、民主的に選ばれた大統領でさえも、戦争中にいとも簡単に権力を集中させ、市民の自由を脅かすことがある。将来の独裁者がこのような権力を手にしたとき、状況はいっそう危険になる。批判者に囲まれ、民主主義の制度を足かせだと感じている大衆扇動家にとって、危機は批判者を黙らせ、ライバルを弱らせる絶好のチャンスになる。*1

実際、その通りに、もっと早く緊急事態宣言を、もっと市民の自由を制限しろと叫ぶ現代日本有権者たち。
コクミンが安倍にもっと独裁しろと囁いている - maukitiの日記
こちらは去年の二月に書いた日記ではありますけども、
「独裁をしたがらない政権」と「より強硬な自由の制限を求める人びと」という構図は結局一年経っても変わりませんでしたねえ。
もしかしたら本当に安部さんのようにヒトラー()になることを目指しているのかもしれないけれど、あんな演説じゃ大衆を扇動する独裁者にはとてもとても。




いやあ、しみじみ、未来の独裁者たちが危機を扇動して権力を奪取していくのかがよく解ってしまうお話だよねえ。
まさに現代日本社会でコロナの危機に直面している今の私たちがそうしているように、ほかならぬ私たち自身が危機からいち早く脱したいと素朴に願ってしまうからこそ、そうなっていく。


そんな落とし穴は、2020年に生きる私たち日本人にもやはり例外ではなかったのだ。
コロナ騒動で改めて証明されてしまった不都合な真実
今回もまた、政治指導者に先導(扇動)してほしいと素朴に願ってしまう私たちについて。


みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

*1:『民主主義の死に方』第4章