「社会が分断されるとどうなるの?」っと、

リアルな話をすると多分アメリカやフランスみたいになる。


フランス教師殺害事件、女子生徒が事件前にうそをついていたと認める - BBCニュース
たとえウソでもここまで大きな事件になる、というのは本邦でも陰謀論フェイクニュースなどの頭のアレな人たちを勇気づけてしまうニュースだよね。
逆説的にウソをついてでも自分のイデオロギーやポジションに適う言葉を繰り返すことの実効性がまた証明されてしまった感じ。

女子生徒は当初、パティ氏について、言論の自由と不敬行為に関する授業で風刺画を見せる間、イスラム教徒の生徒に教室を出るよう求めたと、父親に話した。

預言者ムハンマドを絵などで描くことは、イスラム教の世界で広くタブーとされる。イスラム教徒からは、かなり侮辱的な行為だとみなされる。

女子生徒から話を聞いた父親は、パティ氏を法的に訴えるとともに、憎悪をあおるキャンペーンをオンラインで始めた。

このキャンペーンについては、パティ氏殺害事件の直後に検察当局が、殺害行為との間に「直接的で予期せぬ関連」があったとの見方を示していた。

女子生徒が父親に虚偽の話をしていたことについて、この生徒の弁護士ムベコ・タビュラ氏は、「クラスメートたちから広報担当者になるよう頼まれ、逃げられない状況にどんどんはまり込んでいく感覚に陥り、うそをついた」とAFP通信に話した。

フランス教師殺害事件、女子生徒が事件前にうそをついていたと認める - BBCニュース

この事件に関するニュースを見ていてひたすら救えないと思うのは、そのキャンペーンを最初に始めた父親はもちろん、こうしてそれを告げた彼女自身ですら「その場にいなかった」という点だと思うんですよね。
実際にそれをした相手の内心を勝手に推測するどころではなく、伝聞で聞いた話からも悪意を見出してしまう。
そんなん無敵すぎるやん。
党派性によって彼ら彼女らは、単純に価値観や良識が異なるというだけでなく、それ故に相手が悪意を抱いているだろうと素朴に確信する地平にまで行きついている。
社会が分断されることの行きつく果て。


一般に私たちの社会において『分断』が危険であるというのはこういう構図に陥ってしまうからなわけでしょう。
単純に両者が相容れないというだけでなく、やがてそこに(実際にあろうがなかろうが)悪意を見出してしまうから。
アメリカ社会の黒人差別問題が陥っているのも概ねこういう構図だよね。
黒人にしろ白人にしろ、一部の人たちは最早相手の行動や発言に『悪意』があるのを常態だと考えている。


そして相手に強い悪意を見出すということは、自身の正当性の確保に繋がり、どんどん許される手段の拡大に走るようになる。
最終的にはどんな手を使ってでも相手を排除しようとするようになると……。
所謂『キャンセルカルチャー』の極致、という感じだよねえ。
いっそ相手の生命そのものを物理的にキャンセルさせちゃえばいいのでは? なんて。





ということで、敢えて綺麗事な解決策を答えるならば、こんな事件が起きてしまうまでに分断された社会において必要なのは、相手には「悪意が無い」と理解することでしょう。
その為には、これまでも散々繰り返されてきた「お互いに対話を続ける」ことで悪意がないと理解し合うことしかない。
まぁそれができないならやっぱり分かれて暮らすしかないよね。
これまでできていなかった――多文化主義ではなく単一文化主義に陥ったヨーロッパの多文化社会()だったからこそ、今こうなっているとも言えるんですけど。


何か失言や失態を犯してしまう度に、そこに悪意を見出してしまう関係に陥ってしまう社会分断の果て。
黒人問題に揺れるアメリカや、イスラム移民に悩むフランスというのは、まぁものの見事に現代社会の「悪い見本」となっていると個人的には思うんですよねえ。
たとえ我が国が中世ジャップランド(まぁその意見自体には一理ある)であろうとも、だからといって、まさかこうした失敗事例を見習えだなんてとても言えません。
むしろ反面教師にするべきだよね。


いやまぁ確かに「問題を無いことにする」彼らの面の皮の厚さには正直感心しますけど。
そうした態度こそが問題を悪化させてきたというと身も蓋もないんですが。
面の皮が厚いからこそ、こんなになるまで社会分断を進めてしまった人たち。やっぱりそうした人権先進国()を見習えなんて絶対に言えない。


社会を分断させたくない、という善人なみなさんはいかがお考えでしょうか?