冷笑地獄とは正義や正しさの不在なり

いつものまずは正義や正しさを屏風から出して下さい問題。



人の正義を笑うな。SNSに蔓延する「冷笑主義」はなぜ危険なのか | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)
一年前の記事ではありますけども、以前もまったくの心外ながら冷笑的と怒られたことのある私としても概ね同意できるお話ではあるかなあ。

冷笑系」という言葉をご存じだろうか。「個々の政治的主張や社会的活動を独りよがりであるとみなし、上から目線で冷笑する人々」という意味で使われる、近年流行しているネットスラングだ。ツイッターなどのソーシャルメディアを中心に、しばしば否定的なニュアンスで用いられている。

最近では、歌手のきゃりーぱみゅぱみゅ検察庁法の改正をめぐり「#検察庁法改正案に抗議します」とハッシュタグを付けてツイートするなど、芸能人による政治的な意思表明が話題となった。黒人差別への抗議活動が活発化するアメリカ発の「#BlackLivesMatter」でも同様な動きが見られる。ソーシャルメディア上で政治的な発言をする芸能人らに対しては賞賛が集まる一方、「何も分かってないくせに」「芸能人の政治的主張なんて無意味」といった趣旨の、冷笑的な批判も多くみられた。

人の正義を笑うな。SNSに蔓延する「冷笑主義」はなぜ危険なのか | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

わかるわかる~、もっと最近では「ウイグル論法」とかのことだよね!



でもまぁ冷笑する人たちが絶えない理由は割と理解できるんですよね。
だってそっちのポジション――とりえあえず何か腐しておけば賢いフリができる―――が楽であるという身も蓋もない理由がまずあるし、そしてそもそも現代世界に無数に溢れている玉石混交な正義たちに対して確信がもてないから。だったら全てを疑った方が楽だというのは間違いないんですよ。


だからこの人の指摘する冷笑主義が危険だという指摘は正しい。
しかし、それと同じ程度は正義の暴走を懸念する指摘も正しい。


現在起きている構図って、結局のところ、一方は正義に対する無邪気な確信を『正義の暴走』と十把一絡げに批判するし、もう一方は正義に対する懐疑的態度を『冷笑主義』だと十把一絡げに批判している。
両者は表裏一体である。
その独りよがりな振る舞いの本質にあるのは、誰もが同意できるような確固とした正義や正しさについての議論の不在ということでしょう。





この不在について、上記著者も語っているところであって、

もし「正義の暴走」を本当に抑止したいと考えるならば、批判の対象となる政治的主張ファシズムや弱いものイジメに与するような主張であるのか、それとも反対にそれらに抵抗する主張であるのかという点を吟味する必要がある。

無論、どのような主張が支配的立場たる多数派の意見を代表しているのかという点については、相対的に変化する問題でもあるため、歴史や経済、メディア環境など様々な側面を考慮ねせばならない。ただ少なくとも、やみくもに「正義」を冷笑するだけでは、ファシズムに抵抗するどころか、無自覚にそれの片棒を担ぐことになってしまうということは、決して忘れてはいけない点ではないだろうか。

人の正義を笑うな。SNSに蔓延する「冷笑主義」はなぜ危険なのか | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

「吟味する必要がある」
「様々な側面を考慮ねせばならない」
だれが?
どうやって?
それを決めるの?
独りよがりという批判に反論するためには、広く議論する必要があるわけで。
著者の言葉を借りるならば、その主張について一体どちらが「批判の対象となる政治的主張ファシズムや弱いものイジメに与するような主張」で「どのような主張が支配的立場たる多数派の意見を代表している」のか、同意ができないからどちらも自分の都合のいい言葉で議論を切り捨てようとする。
かくして誰もが自分に都合のいいように、相手を『正義の暴走』や『冷笑主義』と嗤うことになる。
その不在こそが、SNS冷笑主義が蔓延する理由じゃないのかと。



行き過ぎた人権や生命財産への侵害など解りやすい議論の余地がない『正義』『正しさ』であれば話は簡単なんですよ。
でもぶっちゃけそうした簡単な話の方が少数派で、むしろ解決されていない政治的主張や社会的活動というのは「様々な側面を考慮せねばならない」ことの方がずっと多いわけでしょう。だからこそ今でも未解決な問題となっているのだから。

  • 反ワクチンな主張を冷笑することは、「人の正義を笑う」ことだろうか?
  • ブルカ着用禁止な政策を冷笑することは、「人の正義を笑う」ことだろうか?
  • 緊縮財政あるいは財政出動な主張を冷笑することは、「人の正義を笑う」ことだろうか?
  • テロ対策に少数民族を弾圧する行為を冷笑することは、「人の正義を笑う」ことだろうか?
  • 民主主義政治には欠陥があるという主張を冷笑することは、「人の正義を笑う」ことだろうか?
  • 国家安全保障の為に核兵器を持とうとする行為を冷笑することは、「人の正義を笑う」ことだろうか?
  • かつて保有していた領土を取り戻せと主張する人たちを冷笑することは、「人の正義を笑う」ことだろうか?
  • 伝統的宗教や文化を理由に同性愛や中絶に反対する人たちを冷笑することは、「人の正義を笑う」ことだろうか?
  • 気候変動問題に立ち向かうために原子力発電を推進しようとする人たちを冷笑することは、「人の正義を笑う」ことだろうか?


一体どこのだれがそれぞれの主張を『吟味』して、その正義や正しさについて屏風から出してくれるの???
それとも何が正義で正しい主張なのかは決まってないけど、とりあえず何でもかんでも冷笑主義だって反発しているだけ?


この確固たる正義や正しさに関しての議論の不在について現在進行形で典型的事例の一つとなっているのが、世界的な争奪戦の様相を呈している新型コロナウイルス感染症のワクチン確保の問題だと思っているんですよね。
ファイザー製ワクチン 日本への追加供給は5000万回分 | 毎日新聞
WHO事務局長とグレタさんがタッグ、公平なワクチン供給を訴える(字幕・20日) | Reuters Video
例えば、当日記を書いている僕のポジションとしてはほぼ一貫して「先んじてワクチンを確保する先進国」に対してそれはエゴだよと冷笑し続けていますけども、少なくとも現在の日本社会では、ワクチンの確保が(欧米先進国と比較して)遅れている、という批判はあっても自分たち日本の分をよりヒドい状況にある後進国に譲るべきだという声はほとんど無視されているわけでしょう。
――ただ、自分で言っておきながらこれはかなり紙一重の正義(だから敢えて面白半分に言っている面もある)だとは思うんですよ。
この場合、ワクチンを「自国民の為に」確保することと、「自国民の分を諦めて」でも後進国に譲ること、一体どちらの主張が正義であり正しいことなのだろうか?
前者の行為を冷笑することと、後者の行為を笑うこと、一体どちらが正当性ある主張を冷笑していることになるのだろうか?
どこかの偉いだれかが、ワクチン確保の正義や正しさについて『吟味』してくれればいいのにね。
……この件で国連のWHO事務局長より偉い人っている?



ということで、僕としては因果関係が逆だと思っております。まぁ結果は一緒ですけど。

ディオゲネスが示したような勇気は、長い歴史の中で「シニシズム」から消えて無くなってしまったが、この言葉が本来もっていた意味は、世の権威を勇気ある態度で批判する抵抗の精神だったのだ。

シニシズムが蔓延する現代のソーシャルメディアにおいて、果たしてこのような抵抗する勇気はどれだけ良しとされているのだろうか。私たちは多数派の意見に流されるがままに思考停止し、正義や正しさへのシニシズムに陥ったアイヒマンのようにはなっていないだろうか。ディオゲネスのような「勇気」のある生き方について、今こそ考え直す時期ではないか。

人の正義を笑うな。SNSに蔓延する「冷笑主義」はなぜ危険なのか | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

シニシズムが蔓延することで思考停止してしまっているのではない。
正義や正しさについて(著者が言うように様々な側面を考慮せねばならないあまりにも複雑で難しい故に)思考停止してしまった故に、シニシズムが蔓延するようになってしまった。



何が正義で正しいのか、神様か預言者か聖人か誰かが簡単に決めてくれればいいのにね。
――科学的知見や社会正義よりも、神の言葉を優先して生きよという人たちを冷笑することは、「人の正義を笑う」ことだろうか?
う~~~~ん、センシティブ。
ぼくにはこれについて何が正義で正しいのかについて、はっきりと口に出しては答えられないなあ。


多文化を尊重し理性ある世界に生きている私たちは、その複雑で厄介すぎる問題を公に議論すること自体に立ちすくんでしまっている。
そりゃみんな楽なシニシズムに逃げちゃうのも無理はないよね。
だって考えなくて済むから楽だもん。
みんなそんなヒマじゃないんだもん。


だからといって、シニシズムのせいで正義や正しさについての議論が無くなったわけではない。正義や正しさについての議論の不在こそがシニシズムを生んでいる。
みなさんはいかがお考えでしょうか?