気候変動問題を憂う若者たちが言う「大人の問題」を避けては通れない大人な私たち

まさかの若者たちの希望はセクシー進次郎だったオチ。



気候変動を止めるため、若者らがハンガーストライキ。日本政府への抗議広がる | ハフポスト
ということで前回通常日記でも少し言及した、気候変動を憂いハンガーストライキをする若者たちのお話であります。

「気候変動問題に対して、これまでいろんな人がいろんなところで声を上げてきましたが、本質的なところは何も解決されていない」と山本さんは指摘する。

「気温は上昇し、豪雨や熱波、降雪、異常気象が毎年のように発生しています。すでに緊急事態となっているのに、政府は抜本的な政策の見直しを行おうとしていません」

「一人ひとり市民が声を上げて、政策決定に自分の意思を表明することがとても重要だと思っています。僕たち若い世代が声を上げている。この現状は本当はおかしいことなんです。今の大人たちが作ってしまったこの世界に対して責任を持っているのは、本来であれば今の大人のはずです」

気候変動を止めるため、若者らがハンガーストライキ。日本政府への抗議広がる | ハフポスト

うーん、まぁ概ね正論というか、おっしゃる通りであります。耳が痛いね。
これまで問題を放置してきた我々大人の問題である、と。


ただ、その原因が不作為なのか、それとも合意に失敗したのか、という点では割と意見が割れるところではあるとは個人的に思うんですよね。
ぼくはひたすら「政治的合意」をうみだせなかったけっかが、ごらんのありさまにつながっているとおもうょ。



その意味で上記若者の正論の中で、大人である私たちが合意できない理由について、図らずも述べてしまっているんですよね。

一人ひとり市民が声を上げて、政策決定に自分の意思を表明することがとても重要だと思っています。

気候変動を止めるため、若者らがハンガーストライキ。日本政府への抗議広がる | ハフポスト

再生エネルギーに反対する人*1や、あるいは(当面は容認するというグレタさんのポジションのような)原発容認への反発、あるいはミクロな個人的生活でも、オール電化やガソリン車の徹底排除を嫌う人たちの反発がある中で、一体どうやれば政治的合意に繋げより意欲的な目標を掲げることができるだろうか?


「温室効果ガスを46%削減」発言の小泉進次郎氏「また炎上した」 - ライブドアニュース
タイミングよく小泉進次郎さんの愉快すぎるコメントがありましたけども、まさにあの数字ってそうした(おそらくは大多数の私たちよりはずっと賢い)役人たちによる、『関係各所や利害当事者たちから決定的な反発を招かずに根回しと妥協がギリギリ可能なライン』がああした数字でもあるわけでしょう。
いやまぁセクシーな彼はそれを「シルエットが浮かんできた」とかクッソ面白い発言で簡単にまとめちゃってるんですけど。


しかしそれでは彼ら彼女ら憂う若者は足りないという。
まぁ確かにその通りなのかもしれない。
――ということはこれ以上の未知なる領域に進む必要があって……。

  • まさに最近も小泉進次郎クンが言っていたように、強制的に全ての住居の屋根に太陽光発電をのっけるべき?
  • あるいはグレタさんが言うように、原子力発電で当面は妥協しておくべき?
  • 欧米のようにガソリン車を10年以内に全廃することを目指すべき?


その意味で言えば、最近の小泉進次郎がやっていることには環境大臣として割と一貫性があるんですよね。むしろ気候変動を憂う人たちからあんまり応援されていないのが意外と言うか。
「世の中の景色を変えたい」小泉環境大臣、2030年度までに100以上の自治体で脱炭素に意欲 | ニコニコニュース
レジ袋の次は太陽光パネル! 小泉“セクシー”進次郎の愚策に再び批判殺到 (2021年4月25日) - エキサイトニュース
標数字を引き上げるのに必要なのは、まさにこうしたセクシーで思い切った政策でもあるわけですよ。
それこそ我々が反射的に身構えてしまうような方法でなければ世界は変わらない。
しかしまぁご覧の通り世論の反応はというと……。
やっぱり大人な僕にはこうしたより踏み込んだ議論が必要な「数字の引き上げ」に対してまったく合意できるとは思えないなあ。



セクシー進次郎風に端的に換言するならば、私たちは、小泉進次郎の言う「世の中の景色を変える」政策を受け入れることができるのだろうか?
ということで横須賀の若者たちは小泉クンに投票すればいいんじゃないかな。
実際にビニール袋有料化で世の中を変えてくれたわけだしね。実績あります。



しかし、まさに彼への反発の態度が無数に広がっているように、世の中の景色が変わることに反発する人たちは、絶対に存在している。特に自分が背負うコストが大きくなるなら尚更。
無邪気に数字を引き上げろという若者たちは別にそれでいいんですよ。
だって若者だもの。
しかし私たち大人はそうではない。
数字を引き上げる時に必然的に直面するだろう、原発や個人的支出増大や生活スタイルの変更など、厄介すぎる政治問題に合意することはできるだろうか?
それは単純にそれぞれの手法の是非という構図を越えて、問題に対する危機感や、政治への信頼感という形でそのポジションは無限にグラデーションしている。


反対者を無視するべきなのか。
それとも反対意見も尊重することで合意を諦め、妥協的な数字で満足しておくべきなのか。
いやあ大人である私たちは一体どうしたらいいんでしょうね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

*1:特に効率が良い大規模なそれが環境破壊をもたらしているのは間違いない