もしかして:上級国民

「ジャーナリストでのあいだではじゅうぶんわかり合えるんだけれども、一般国民にはわかりにくい、残念ながらわかりにくいですね」


北海道新聞記者 旭川医科大構内への建造物侵入容疑で逮捕 | 毎日新聞
ということで事件そのものというよりは、その同業者たちからの擁護発言が割と大炎上していていいぞもっとやれとポップコーン片手に楽しく眺めております。

海道警旭川東署は22日、旭川市内に住む北海道新聞旭川支社の女性記者(22)を建造物侵入容疑で逮捕した。

 同署によると、女性記者は22日午後4時半ごろ、同市の旭川医科大の構内で取材中、同大の職員に発見され、この職員に現行犯逮捕された。同大では学長の解任を審査する学長選考会議が開かれており、女性記者は会議の取材をしていた。「会議をしている場所を探していた」と話しているという。

 同大は、同日午後3時50分ごろ報道各社にファクスを送り、新型コロナウイルスの感染防止措置として、記者団の取材に応じる午後6時ごろまでの間、記者を含めた学外者の立ち入りを原則禁止すると伝えていた。

北海道新聞記者 旭川医科大構内への建造物侵入容疑で逮捕 | 毎日新聞

まぁ事件の根本問題としては、22歳の新人記者だということを考えると、どう考えても上司からの無茶ぶりか、あるいは許可を貰って忍び込んだと思われるのが自然なので、むしろこの上司こそが責任を取るべきだよね。
もし本人が独断専行したのであれば、逆に評価が上がるかもしれない。
(そんなことを言うと先日のベラルーシの「自白会見」みたいな絵が見られてしまうかもしれませんけど)




しかし、ジャーナリストや記者と自称する彼ら彼女らの勇ましい擁護発言を見ていると、オリンピックエンブレム騒動で『上級国民』が流行った構図がどうしても連想されてしまいます。

2015年9月1日にオリンピック大会組織委員は、エンブレムの白紙撤回を表明した上で、「著作権侵害ではないが一般の国民から理解を得られない」「専門家にはわかるが、一般国民は残念だが理解しない」や「専門家でのあいだではじゅうぶんわかり合えるんだけれども、一般国民にはわかりにくい、残念ながらわかりにくいですね」と述べた。この発言を受け、報道やインターネット上の言論等では「一般の人の感覚や理解を超えたもの」として反発が広まった。

上級国民 - Wikipedia

「ジャーナリズムを守るために必要ではあるが一般の国民から理解を得られない」
「ジャーナリストにはわかるが、一般国民は残念だが理解しない」
「ジャーナリストでのあいだではじゅうぶんわかり合えるんだけれども、一般国民にはわかりにくい、残念ながらわかりにくいですね」
個人的には確かに一定の配慮はあるべきだと思うものの、その待遇を上級国民ばりに「振りかざす」ようになってしまったら、一般国民から反発を受けないわけがないよね。
あの頃散々炎上させていた人たちが、一周回って『専門家』と同じような炎上をしているのって、やっぱりクッソ面白いよねえ。
ポップコーンの手がとまりませんわ。
パクパクですわ~~~。
だからその意味で言うと、今回彼らが「専門家界隈では常識」という形で炎上しているのも、その繰り返しというか自業自得感はあるんですよ。あの時だって、専門家が一般国民の理解を得られていないと煽ったんだから、今回も自分たちだって同じように燃やされるのは当然の帰結でしょう。










ともあれ、でもこの問題ってもう少し真面目に見てみると、割と真面目に考えてみる価値のある深淵な疑問が内包されているとも思うんですよね。
――つまりもし本当に「ジャーナリズムの為ならば許されるべき」「コントロールされるべきではない」のであれば、そのジャーナリズムのための特別待遇を受けられる基準は一体だれがどのように決めているのだろうか?

一体誰がその「特別な配慮」を受けられるジャーナリストと認定されるべきなのだろうか?

  • 自称していればそれでいいのだろうか?
  • それとも、新聞社に勤めていたら?
  • テレビやラジオはともかく、ネットメディアは?
  • フリージャーナリストは?
  • それでお金を稼いでいればジャーナリスト?
  • ユーチューバーは?
  • tiwtterのbioに「呟きは会社とは無関係です」と書いてあったら?

もし資質の問題ではなくその『肩書』こそが重要なのであれば、やはりそれは上級国民であると言うしかなくなってしまうよね。


ただ、ここまでぐだぐだと書いてきたものの、私たち読者や視聴者一般市民の支持があるならやっぱりそうした擁護言説は許容されるべきだとも思うんですよね。
#道新記者の逮捕に抗議します - Twitter検索 / Twitter
あっ……、ふ~ん。


当日記は健全なジャーナリズムを応援しています。