イデオロギー闘争としての「歴史が再開」するとき

あるいは『文明の衝突』の始まりか。



イデオロギーが安全保障リスクに、若者の行動監視を=香港行政長官 | ロイター
この香港行政長官の発言って、意図しているのか無意識なのか、現代世界でいよいよ盛り上がっている『バイデン・ドクトリン*1』や『文明の衝突』に関してのあちら側からの率直な声明っぽくて個人的にすんごい面白くて興味深いと思うんですよねえ。

林鄭長官は、中国への香港返還から24年となった今月1日に、抗議デモを警戒して警備に当たっていた警官を50歳の男が刺し、その後自殺した事件を巡り、一部の市民が男の死を悼んでいることに驚きを示した。

「市民は長い間、違法な手段を通じて正義を実現するといった誤った思想にさらされてきた」と述べ、国家安全保障へのリスクは「社会秩序」に関する行為だけでなく、イデオロギーからも生まれると指摘。

政府機関は「違法な思想が教育や放送、芸術、文化を通じて市民に浸透し、暴力を美化し、市民の良心を曇らせるのを容認すべきではない」とした。

また「保護者や校長、教師、そして牧師に対し、周囲の10代の若者の行動を監視するよう求める。違法行為が見られれば、報告しなければならない」と述べた。

イデオロギーが安全保障リスクに、若者の行動監視を=香港行政長官 | ロイター

「市民は長い間、違法な手段を通じて正義を実現するといった誤った思想にさらされてきた」
これって中国側からの発言としては当然として、しかしリベラルな民主主義制度を奉じる私たちからもまったく同じ事が言えてしまうんですよね。
もちろん正義を実現しようとするのはいいんですよ。ついでに擁護できない犯罪行為を違法な手段として分類することも。
しかし、言論や集会や信仰など「市民の自由を制限してでも」正義を実現する、ことを無闇に許容するのは自由民主主義制度を前提とする私たちにとってはそれはもう『間違った思想』でもあります。


フランス革命以降、現代のアラブの春や香港デモに至るまで民主化運動の核には、国家に対して個人の尊厳と自由を認めさせるという構造があったわけで。その相克から法の支配と平等な参政権(民主的説明責任)を基礎にした民主主義国家が生まれた。
その自由権の制限を安易に認めてしまったら、比喩ではなく民主主義が死ぬこと一直線でしょう。
であればこそ、中国政府から次々と自由を奪われることで、これ以上ないほど明確に『民主主義が死んだ』香港の現状を欧米社会は批判し続けてきたわけで。それは本邦でしばしば使われるような雑で恣意的な使い方とは一線を画している危機感であります。
「市民は長い間、違法な手段を通じて正義を実現するといった誤った思想にさらされてきた」
かくして両者は同じことを言っているようで、まるで違う景色を見ることになる。
文字通り根本的なイデオロギーの違いによって。



ただ、こうした『「市民の自由を制限してでも」正義を実現する』という手段については、昨今のコロナや災害対応でも散々見てきたように、私たちの側からもそう簡単に色分けできないというのが正直なところでしょう。
その点から考えると、自称リベラルな僕ではありますけども、多少なりとも「いい勝負をしている」のも間違いないと思うんですよね。個人の自由権を制限してでも社会秩序を守らねばならない場面は、少なからず存在している。
中国共産党のやり方と、私たちのリベラルな自由民主主義制度のやり方。

「市民は長い間、違法な手段を通じて正義を実現するといった誤った思想にさらされてきた」と述べ、国家安全保障へのリスクは「社会秩序」に関する行為だけでなく、イデオロギーからも生まれると指摘。

政府機関は「違法な思想が教育や放送、芸術、文化を通じて市民に浸透し、暴力を美化し、市民の良心を曇らせるのを容認すべきではない」とした。

また「保護者や校長、教師、そして牧師に対し、周囲の10代の若者の行動を監視するよう求める。違法行為が見られれば、報告しなければならない」と述べた。

やっぱりこの発言て現代世界におけるイデオロギー闘争の最前線だよね。
前回の共産主義陣営との戦いでは勝利しましたけども、はたして今回はどちらが勝つことになるんでしょうねえ。



バーチャルユーチューバー 花園セレナ、ビリビリでの配信で「間違った地図」をだしたとして謝罪 - Togetter
不勉強ながらこのVtuberの方の動画を見たことはないんですが、しかしこちらも上記発言と同じくらい『イデオロギー闘争』あるいは『文明な衝突』の一場面っぽいなあとは思うんですよね。
そこでは間違った地図や政治的立場を配信することすら許されない。


はたして「違った地図」の次は「間違ったイデオロギー」を配信したことで、謝罪を要求される時代がやってくるのだろうか?
あるいは既にそうなっているのだろうか?


どちらにしても、こうした香港行政長官の発言やVtuberの謝罪を見ると、終わっていたはずのイデオロギー闘争としての歴史が再び動いている時代に生きているんだなあとしみじみ思ってしまいます。
グローバル化とは、歴史の終わりとは、一体なんだったのか。


みなさんはいかがお考えでしょうか?