アフガニスタンの仏像のように崩れ落ちたアメリカ軍

かつて話題になったタリバンバーミヤン大仏破壊の時モフセン・マフマルバフ氏の箴言を思い返すと、これ以上ないほど趣深いと思うんですよね。
世界で最も強大なアメリカが「関心を持った結果」がコレですよ。

「ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱の為に崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人々に対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ」

穢れた聖杯にでも願ってしまったのかな?





【解説】 9/11から20年、アフガニスタンで学ばなかったかもしれない教訓 - BBCニュース
ということで今年も『9・11』を迎え「あれから20年」であります。

世界各地で20年続いてきたテロリズムとの戦いにおいて、私たちは何か教訓を学んできたのだろう。何がうまくいって、何がうまくいかなかったのか。そして、過激派勢力アルカイダをかくまった武装勢力が再びアフガニスタンを支配するようになった今、私たちは2001年9月11日の朝より、私たちはいくらかでも賢くなっているのだろうか。

【解説】 9/11から20年、アフガニスタンで学ばなかったかもしれない教訓 - BBCニュース

結局タリバンが戻ってきたオチでした。おわり。
……これじゃ20年一体何をしていたのだろうか、と多くの人たちが思わず遠い目になってしまうのも仕方ない。


かつてモフセン・マフマルバフさんが日記冒頭のような素晴らしい言葉を残していましたけども、ここでひたすら皮肉だなあと思うのは、今回は「無関心」ではなく「関心」の果てにこの光景が生まれてしまっていることでしょう。
無関心であろうが関心であろうが、結局はタリバンが支配するアフガニスタンになってしまった。



――もちろん『関心』の持ち方が間違っていたのだ、という身も蓋もない正論を言うことはできるんですよ。
関心の持ち方に失敗した。まぁそれは反論の余地なくその通りなのでしょう。
ぐうの音も出ない正論であります。
それこそ上記モフセン・マフマルバフさんがこの20年のアフガニスタン動乱中にずっと言い続けてきたように、アフガニスタン原理主義から抜け出させる為に、ミサイルではなく本を、地雷ではなく小麦を撒いていれば良かったのかもしれない。
しかし対テロ戦争という『戦争』の文脈無しに、そもそも我々はアフガニスタンに関心を持てただろうか、と本邦社会を顧みるととてもそんなことは言えないんですよね。
今ですらSDGsを叫んでおきながら*1タリバンは20年前と違う!」とか見たいモノを見ようとする人たちがいっぱいですよ。もちろんそうしたアレな人たちだけでなく、日本がアフガニスタン支援で果たした役割はそれなりに大きいとも思っているし、割と日本の貢献は評価されているらしいですけども*2、ただそれらの個人の善意は決して日本社会全体の相違にもよるものとはとても言えない。金メダルを獲っても偉いのは選手個人なんだもんね。日本人が平和でさえあればいいんだもんね。




かくして我々は、ついに、ようやく、今更、またもや、アフガニスタンの虐げられた人びとに対し無関心であろうと再び心を決めつつある。
下手に関心を持ったことの反省として、無関心へ。
ベトナム戦争って無意味だった - maukitiの日記
ベトナムのような無意味な戦争にさせない、と努力したはずがまったく同じ結末に。まるで成長していないどころか、その無関心さは更に悪化してしまった。

「ついに私は、アメリカ軍は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。アメリカ軍は、恥辱の為に崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人々に対し自らががここまで無関心であることを恥じ、アメリカ軍は自らの軍事的優位など何の足しにもならないと知って逃げ帰ったのだ」

奇しくもまったく同じ相手=タリバンによって、バーミヤンの石仏のように崩れ落ちてしまったアメリカ軍。
いやあこれが「アフガニスタンで20年かけた学んだ教訓」だなんてね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:『SDGs』対『タリバン』という大盛り上がり間違いなしの怪獣大決戦がはじまる……か? - maukitiの日記

*2:「マフマルバフ監督は「20年で最もアフガニスタンのために動いたのは日本」と話す。日本政府のインフラへの貢献は大きかったうえ、多くの日本人が現地での教育活動を物資や資金面で支えたという。」「真実は一つ」の呪縛を解け モフセン・マフマルバフ氏: 日本経済新聞