僕たちはたえられるだろうか、人権擁護や気候変動対策に伴う国家権力の拡大に

いつもの善意が舗装しちゃうアレ。


日本のネットの父が警鐘…「ネットへのアクセスは人権」という主張に潜む"意外な落とし穴" 唯一の自由な空間を破壊しかねない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
これは面白いお話。

【村井】国連のヒューマンライツ(人権)の議論の中に「インターネットへのアクセスは人権」だということが入っている。ヒューマンライツとは「水が飲める」とか「健康になる」とか、生きるうえでの最低限の権利。だから、インターネットへのアクセスが人権だということになれば、国は誰もがインターネットにアクセスできるような環境にしなければいけないし、インターネットが使えなくなったら国のせいになる。国連は「インターネットは人権だ」ということになると、インターネットを作っている人たちは喜ぶと思ったみたいだけど、インターネットを作っている人間からすると「危険だ」と感じるんだよ。

【竹中】国家権力がインターネットに関与してくるということですからね。

【村井】そう。国や政府は時に間違いを起こすこともある。インターネットは地球上の人間をつなぐものだけど、そこに国というものがあまりに強く関与してくると、本来の“地球上の人や社会のつながり”というインターネットの空間が分断されたり、制御されたり、誰かの支配下に置かれる可能性が出てくる。

日本のネットの父が警鐘…「ネットへのアクセスは人権」という主張に潜む"意外な落とし穴" 唯一の自由な空間を破壊しかねない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

特に感心したのがこの視点で、思わずなるほどなあと膝を打ってしまうお話。お隣の中国のことが嫌でもよく見えてしまう私たちとしては同意するしかない。
「人権侵害の解決こそが平和への道」“世界平和”のために私たちができること|STORY(magacol) - Yahoo!ニュース
ここではインターネットのアクセス権について語られていますけども、ぶっちゃけてしまえばこうした危険性って実質ほとんど全ての国家権力の行使と同様だよね。
――まさにその極北が、独裁者たちですら頻繁に用いる「市民の生命財産を守る」という正義を大義名分にした強権化でもあるわけだし。
ウイグルの安全の為にああした政策を行っているのだ、なんて。

「もちろん、新疆やミャンマーなどとは比べ物になりませんが、身近にも人権侵害はあります。例えば、スポーツ界での子どもに対する体罰もその一つ。実際、19%の子ども・若者が暴力を受けたことがあるという調査結果が出ています。弱い子どもは、声を上げられず、我慢している。でも、暴力、暴言、セクハラなどの被害に遭えば、子どもの心に傷を残してしまいます。これだって人権侵害なのです。これくらい仕方ない、と許してしまうと、次第に大きくなり、やがては、止められないほどはびこる可能性もあります。人権侵害に敏感になり、声を上げ、行動することが、紛争を防ぎ平和を守る、私たちにできる最初の一歩だと、ぜひ感じてほしいですね」

「人権侵害の解決こそが平和への道」“世界平和”のために私たちができること|STORY(magacol) - Yahoo!ニュース

ここでこうしたコメントを残している彼女の善意を疑うつもりはまったくありませんけども、しかし人権侵害を止めることを大義名分にして何ができるかということを、同じくお隣の中国から見せられている私たちでもあるわけだし。
あるいは、例えばタリバンアフガニスタンなどで、人権侵害を懲らしめようとする行為を国際関係でマジでやろうとする一体なにが起きてしまうのか……。


他にも気候変動問題でも「国家権力の行使を求めることへの危険性」の構図は近いよね。
それこそ私たち日本人がこれ以上ないほど思い知ったのが、かの『46』の人によるビニール袋の廃止やプラスチックスプーンなどの禁止要請であったわけだし。
CNN.co.jp : 「なんたらかんたら」 グレタさん、米英首脳を口まねでこき下ろす - (1/2)
まぁもちろん子供のグレタさんは別にそんな事気にしなくてもいいんですよ。

「これは金がかさむ、政治的に正しいバニーハギング(環境活動家をおとしめる表現)の空想でない、なんたらかんたら。より良い復興、なんたらかんたら。グリーンエコノミー、なんたらかんたら」と述べた。

さらに、「実質ゼロ、なんたらかんたら。気候中立、なんたらかんたら。これは全部、私たちの指導者と言われている人々から聞いたものだ──単なる言葉、素晴らしく聞こえるが、いかなる行動や希望、夢につながったことのない言葉だ。空疎な言葉、そして約束だ」と続けた。

CNN.co.jp : 「なんたらかんたら」 グレタさん、米英首脳を口まねでこき下ろす - (1/2)

しかし大人である私たちはそうはいかない。
気候変動に対して『行動』するということは、必然その国家権力の行使に伴う副次的影響を考えないわけにはいかないんですよ。
あるいはそれが失敗や間違えた時の悪影響も。
故に大人である「口だけ」な政治家たちはそこで立ちすくむことになる。
むしろ立ちすくまない方がおっそろしいよね。人権擁護や環境に重要だからと、おぼろげながらに見えてきたからと言われたら、私たちは一体どんな顔をすればいいのか。



少なくとも僕は、人権擁護や気候変動問題などで政府の強力な対策を求めれば求めるほど、独裁者への道を舗装することになると思うよ。
だからそれをヤメロと言いたいわけじゃ絶対になくて、少なくとも最初に引用した村井さんのように「危険だ」という意識は持つべきじゃないのかと。持ったからと言って何か変わるわけでもないと言うと身も蓋もないんですけど。
まぁ仕方ないよね。人権や環境を守るためだもんね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?