人権外交もっらぃょ

中露のいう「外部勢力の干渉」と、欧米の言う「人権外交」より優先されるべきなのはどちらか。



日本が対中制裁に加わる日は来るか 人権外交の難しさとは | 日本外交の現場から | 大貫智子 | 毎日新聞「政治プレミア」
今になって『人権外交』を言い出す時代遅れ感と言うかなんというか。良くも悪くもいつもの日本らしいと言えばその通りなんですけど。
もちろん「乗るしかないこのビッグウェーブに!」という批判からあるんでしょうけど、まぁぶっちゃけ本文でも指摘されているように、中国台頭(アメリカ一極状態の相対的衰退)というポイントを越えてしまって以来、もうその言葉は決定的に別の意味を内包するようになってしまったよね。

 ◆例えば冷戦時代、人権問題についてソ連に対しては非常に厳しく批判する一方で、中国には目をつぶって甘やかしてきました。米国史において最も人権外交で名高いといわれるカーター政権(1977~81年)も、最初は人権問題を前面に掲げていましたが、すぐに折れてしまいました(筆者注・79年に米中国交正常化)。今回のアフガニスタンからの撤退でも、20年かけて培ってきた女性の権利向上の問題などは、ガラガラと崩れてしまいました。人権外交というのは非常に難しいトピックで、200もの主権国家の併存のもとで実践するのが根源的に難しいということもあると思います。

 ――根源的難しさとは。

 ◆人権は普遍的な理念ですが、普遍的な担い手は地球上に存在しません。結局、基本的には国家単位で守るというのが建前です。ルワンダの大量虐殺(筆者注・94年に発生。国際社会は消極的対応に終始した)などを経て、国家が国民の人権を保護する責任を放棄した場合、外国がこれに介入できるという人道的介入論につながっていきました。しかし、その担い手は米国など一部の特定国家に偏っています。しかも、イラク戦争によってその大義が失われ、世界の警察官としての米国の力も失われています。

日本が対中制裁に加わる日は来るか 人権外交の難しさとは | 日本外交の現場から | 大貫智子 | 毎日新聞「政治プレミア」

うーん、ぐう正論。ロジハラ一歩手前。
批判するのはいいけど、じゃあ誰がその侵害されている状況を是正するのかっていうね。
この問題は結局、冷戦後の改革に失敗した国連では解決できなかったし、むしろイラク戦争と中国台頭を経た現在では状況はより後退しているとさえ言えるわけで。


ともあれ、今回の日記ネタにした上記毎日新聞の記事で一番関心したのって、そのタイトル部分なんですよね。
現在の『人権外交』って、悲しいかな旧来に加えて更なるまったく違う意味も持つようになっている。
ぶっちゃけ最早現代世界では、人権外交と対中制裁がほとんど一直線で繋がるようになってしまっている、というのはまぁその通りでしょう。
日本の人権担当補佐官人事に中国が「外部の干渉許さず」 - 産経ニュース
中国自身が一貫して何度も指摘しているのは概ね正しい現状認識でしょう。
ウイグルや香港というイベントを経てもう人権外交という言葉には、そこに以前からも内包されていた対中・対露の意味合いが、決定的に強くなってしまった。もうこのトレンドを覆すのは不可能となってしまった。

名指しでの批判などは行わなかったが、中谷氏が中国政府による新疆(しんきょう)ウイグル自治区での人権侵害を指摘していたことを念頭に、「中国の内政は、外部勢力の干渉を許さない」と牽制した。

日本の人権担当補佐官人事に中国が「外部の干渉許さず」 - 産経ニュース

その意味で、戦後日本が見せてきた「人権外交」への消極的姿勢はほとんどそのまま、近隣諸国への配慮を重ねる平和主義とほとんどそのまま地続きであったと思うし、それがまったく悪いことかというと個人的にはそこまで失敗ではなかったと評価できるんですよね。

戦後の日本において、平和主義は根付いたけれども、人権という価値は平和ほど根付かなかったように思います。戦前は人権侵害大国だったわけですが、戦後も含めて日本は歴史上、人権問題について真剣に取り組んだことはなかったのではないでしょうか。

日本が対中制裁に加わる日は来るか 人権外交の難しさとは | 日本外交の現場から | 大貫智子 | 毎日新聞「政治プレミア」

これまでの日本は、単純に人権に興味がなかったというよりは、国内的はともかく国外的にも根付かなかった理由はほとんどそのまま中国のポジションと近かったからでしょう。
人権問題を持ち出して外部干渉と思われるくらいなら、黙っていた方がいい、なんて。
いやあ「ザ・事なかれ主義」っぽくて親近感わくなあ。でもそれこそ日本のユニークな憲法9条的平和主義ってつまりそういうことだよね。だからこの記者の人の認識は微妙にズレていると僕は思います。
人権を訴えるよりも日本からの干渉を避けようとしたことの間接的結果でしかない。
経済が人権より重要だからそうしていたわけじゃなくて、より価値中立的な経済しか選択肢がなかったというだけ。




話を戻して、人権外交の中身が変わっているということは、つまり日本への人権外交への圧力の理由も同様に変わりつつあると言うことでしょう。
「日本も人権外交を推し進めるべきだ(意味深)」
まぁつまり人権外交ってつまりそういうことだよね。
その圧力は、単純にリベラルな外交政策というだけではなくて、国家安全保障の必要からも『人権外交』についての旗幟を鮮明にしなければならなくなりつつある現代世界。
いやあ現代世界で人権外交を口にするのって楽じゃないよね。
それ以前にあった、北朝鮮や中東やアフリカなんかの小国相手なら幾らでも口で偉そうなことを言っていれば良かったんですよ。ところが2021年の現代ではそういうわけにはいかなくなってしまっている。
人権外交とは、文字通り「対中制裁」「中国包囲網」ともイコールになってしまった。
それを解っていて日本も人権外交をしろと言う野党やリベラルな人たちは、解っているのか解っていないのか、中々覚悟キマっているなあとしみじみ思います。それぶっちゃけ一昔前の反中ネトウヨな人たちの姿そのまんまだよね、



中露のいう「外部勢力の干渉」と、欧米の言う「人権外交」より優先されるべきなのはどちらか。ま~た「Show the flag」されつつある私たち。
民主主義社会に生きる日本のみなさんはいかがお考えでしょうか?