ウクライナの主権と領土を明け渡しさえすれば平和になるのになぜそれをしないのですか???
〈社説〉ウクライナ情勢 緊迫の責はNATOにも | 信濃毎日新聞デジタル
ウクライナ国境にロシア軍10万人、プーチン氏は本気だ クリミア併合の取材記者が解説:朝日新聞GLOBE+
ということで最近話題のウクライナでも「どっちもどっち」論が社説で繰り広げられていたそうで。
半面、要求には一定の理もあろう。1989年の冷戦終結後、NATOが「不拡大」をソ連に約束したとの記録は、米公文書にも残されている。
対話の枠組みもできて高まった融和ムードは、99年以降、ポーランド、チェコ、ハンガリー、バルト3国などが次々とNATOに加わり、急速にしぼんだ。
裏切られた―と憤るロシアにすれば、ウクライナは“最後のとりで”の一つだ。NATOの軍事拠点となれば、のど元に刃を突き付けられたも同然となる。
ロシア系の人々がウクライナ政府に冷遇され、祖国復帰への希求を高めた事実も軽視できない。
政治体制は、その国で暮らす人たちの意思で決めなくてはならない。ただ、直ちに軍事同盟に加える必要はあるのか。
〈社説〉ウクライナ情勢 緊迫の責はNATOにも | 信濃毎日新聞デジタル
はぇ~~~、
そんなリスクを背負ってでも、ロシアがクリミアを手に入れようとしたのは、この地がロシア人にとっては「特別な場所」だったからだ。
ロシア帝国時代から多くのロシア人が暮らしていたにもかかわらず、ソ連時代の1954年、ときの指導者フルシチョフは帰属をロシア共和国からウクライナ共和国に変更した。
当時は同じソ連領内だから問題にならなかった。だが、ソ連が崩壊して別々の国になったとき、ウクライナとロシアのどちらに帰属すべきかという問題はくすぶり続けてきた。
これに加えて、クリミアにはロシアの黒海艦隊が駐留していた。北方国家であるロシアは伝統的に不凍港を求めてきた。その最たる拠点がクリミアにあるセバストポリだった。
ソ連崩壊後、ロシアは艦隊が駐留するための基地をウクライナから貸与されてきたが、ウクライナによって外交の駆け引きに使われてきた。編入を果たすことで懸案を一気に取り除きたかったのだろう。
ウクライナ国境にロシア軍10万人、プーチン氏は本気だ クリミア併合の取材記者が解説:朝日新聞GLOBE+
すっごい。
わかるわかる~。満州は日本の生命線だったのにそれを奪おうとしたアメリカや国連の方が悪いんだよね!!1
一昔前のネトウヨかな?
でもまぁ個人的にはその理屈に一貫性はあると思うんですよね。
ネトウヨと似て非なる、「平和こそこの世で最も尊ぶべき価値観である」という古典(戦後)的「日本スゴイ」論の亜種としての一貫性が。
故に彼ら彼女らは、自分たちが譲歩さえすれば平和が手に入るのだから何故それをしないか? という素朴な疑問をこうして恥ずかしげもなく堂々と『社説』に掲載することになる。
新聞でそれを言うって正気?
――もちろんそんな風に反対意見がある人の方が大多数だとは思うんですけども、しかし『平和』という概念を深く考えずにただただ表面的なそれを最終目標に掲げた上での行動・発言であればやっぱり合理的だとは思うんですよ。確かにそれをすれば平和()は実現できるのだから。
戦争にさえならなければ、人権や主権など他はどうだっていいのだ、なんて。
現地住民や分割される国家たちの悲哀などは歯牙にもかけない。
だって平和の方がなにより重要なのだから。
「リベラル」と自称しているのだけが問題なのであって、まぁそれに目を瞑れば一つのポジションとしてアリだとは思うんですよね。これ以上ないほど独善的だとは思いますけども。そしてやっぱりそれを社説にまで乗せるのはマジかよとも思ってしまいますけども。
『人権』か『平和』か。
これまでも中国関連で何度か日記ネタにしてきましたけども、(上記自称ではない)誠実なリベラルな人たちにとってはまぁ生きにくい世の中なのは確かなんですよ。中国の人権問題でもそうだし、そしてウクライナの問題でも同様に。
そこでは完全に相手から平和を人質にされ足下を見られてしまっている。
――その一方で、良くも悪くも「正義を追求するリベラルたれ」が半ば絶対的な価値判断基準としてあるアメリカ*1で、ミクロな国内政策ではあんなことになりつつもマクロな国外政策では明確な形で反中反露なポジションへと傾いているのはアメリカの歴史のうねりを感じてSUGOI面白いよね。
【主張】ウクライナ危機 日本は米制裁に同調せよ - 産経ニュース
そうしたアメリカ的リベラルに乗れと言っているのが、一方で日本ではアレな扱いな産経というのがまた趣深くて面白いんですが。
ということで正しいか間違っているかという次元を超えて、そもそもまぁそんなアメリカ的リベラルを日本に期待するほうが間違っている、といえばその通りだとも個人的には思うんですよね。
そこにあるのは、ただただ「戦争さえ起きなければそれでいい」という戦後の反省から生まれた歪な、これ以上ないほど歪な平和原理主義を名目にした自国第一主義でしかない。
「人はパンのみに生きるにあらず」なはずなのにね。
戦争忌避の想いが強すぎて、それ以外の価値観などどうでもいいとばかりに別の「あやまち」を繰り返してしまう人たちについて。
前回日記でもアレなドイツな人たちを書きましたけど、頭おかしくなっているのは私たち日本人だけじゃなくて安心だよね。もしかしたらアメリカもくるってるのかもしれないし。
みなさんはいかがお考えでしょうか?
*1:だからこそそのカウンターとして「ロックな」トランプ旋風が起きてしまったわけですけど。