日本の大学の中心でアンチリベラルな国際秩序を叫ぶけもの

「福はウチ、鬼もウチ」の帰結としてのロシア侵攻。


「『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である」映画監督・河瀬直美さん 東大入学式で祝辞
令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様) | 東京大学
はえ~~~、

 管長様にこの言葉の真意を問うた訳ではないので、これは私の感じ方に過ぎないと思って聞いてください。管長様の言わんとすることは、こういうことではないでしょうか?例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。

令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様) | 東京大学

すっごい。……何で今ロシアの話したの?


不勉強ながらこの監督の存在については某五輪騒動で初めて知ったので、これまでの素晴らしい作品あるいは政治的ポジションについての発言はよく解らないのでその文脈から何かを語ることはできないんですが、上記発言を見る限りでは現状のリベラルな国際秩序に不満な、ロシアや中国あるいは一部のネトウヨのような人たちが望むような19世紀型の国際秩序を良しとするアンチリベラルな世界を望む人なのだろうなあという推察はできます。
まぁそれ自体は悪くはないよね。
そもそも何故ここまで欧米が一致団結して「ロシアを悪者」にしているかと言えば、それは彼ら彼女ら自身が戦後築き上げてきたリベラルな国際秩序に真正面から挑戦されているからなわけでしょう。
それは領土変更という意味でもそうだし、あるいは普遍的人権の尊重という意味でも。
しかし、もちろんそれは「欧米の」「欧米による」「欧米のための」というエクスキューズが付くこともまったく否定できない一方的な価値観でもあります。

「採決の結果、欧米や日本など合わせて93か国が賛成し、ロシアのほか中国や北朝鮮など24か国が反対、インドやブラジル、メキシコなど58か国が棄権」

国連人権理事会 ロシアの理事国資格停止の決議を採択 | NHK | ウクライナ情勢

そうした欧米的価値観を基礎にしたリベラルな国際秩序に反発する国は、特に人権問題という点でまぁ世界で見れば控えめ言っても安定多数というにはほど遠い。
主権国家こそが国際関係における主要プレイヤーであり、実際に国連憲章第二条第七項で謳われているように「国の国内主権に属する国内問題」について介入することについて明文で禁止しているのだから。
国連改革は結局失敗したのだから。
ロシアや中国が言っているように、人権を基にしたリベラルな国際秩序は唯一絶対のモノではないのだから。
その意味で「一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?」と投げかけるのは、ロシアや中国といった側からのポジションが存在するということを示唆しているという意味で、やっぱり正しいんですよね。
悲しいかな歴史は終わらなかったのだし、今後はバランスオブパワーな時代が再びやってくる可能性だってそれなりにある。
――まぁその恩恵に与って平和主義を謳っている現代日本でそんなことを主張する人が居たら、アンチリベラルな国際秩序を望む人か、こじらせたネトウヨな人の一種か、あるいはただただ何も考えずにどっちもどっちだと言っているだけ、のどれかだと僕は思ってしまいますけど。
う~ん、東大入学式に呼ばれるだけの人が言っている可能性としてはやっぱり一番最初かなあ。それを日本の大学の最高峰で言うなんて、いやあ軍靴の足音が聞こえちゃうよね。




ともあれ、しかしアンチリベラルな国際秩序を望んでいるとしても、一方で現在のウクライナ・ロシア戦争については一周回ってかなり実態に近い認識はしているとは思うんですよね。

金峯山寺には役行者様が鬼を諭して弟子にし、その後も大峰の深い山を共に修行をして歩いた歴史が残っています。節分には「福はウチ、鬼もウチ」という掛け声で、鬼を外へ追いやらないのです。この考え方を千年以上続けている吉野の山深い里の人々の精神性に改めて敬意を抱いています。

令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様) | 東京大学

「鬼を外へ追いやらないのです」
冷戦後のヨーロッパは、当地における永久的戦争回避という大目標に向けて、まさにそうやってロシアをヨーロッパ世界に内包させようとしていたわけでしょう。
素晴らしき「福はウチ、鬼もウチ」の精神であります。
ところがぎっちょん、内包させようとした結果がまさにロシアにヨーロッパからの東方拡大への拒否を事実上の大義名分として「一緒にするな」「我々に近づきすぎだ」という形で反発され、挙句には侵略戦争までも結果として引き起こしてしまった。
「福はウチ、鬼もウチ」という精神によってこそ、今回のウクライナとロシアの悲劇が起きてしまったことを考えるとものすごい皮肉だよね。
わざわざウクライナでは真逆の展開となっているのにも関わらずこのありがたいお話を持ち出したということは、30年程度じゃ全然足りないのであと970年はロシアに「福はウチ、鬼もウチ」と言い続けろというメッセージなんじゃないかな。
970年先をも見据えるなんてものすごい長期的展望であります。長期的には我々はみんな死んでそう。でも自分が死んだ後の事についても誠実に考えるのが責任ある大人の態度だもんね。やっぱ東大入学式はレベルが違うぜ。
あと970年東方拡大し続けろヨーロッパ。


現代世界における、欧米主導のリベラルな国際秩序に対する挑戦を「一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?」と評価することについて。
みなさんはいかがお考えでしょうか?