通用するのであればまず隗より始めるべきなのはロシア国民であるべきだし、もし(現状どう見ても成功しているように見えないロシアのことを知っていながら)ウクライナ国民にそれを言っているのであればこれ以上ないほど残酷なことを言っているよね。
戦うべきか、戦わざるべきか ウクライナ侵攻が問う戦後日本の平和論 [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル
うーん、まぁ、そうねえ。
普段は想田先生のユニークでオルタナティブな面白発言に対して割と当日記でも批判的に書いていますけども、まぁ今回の件は確かに選択肢の一つではあるんですよね。個人的にも、座右の銘の一つが『順法闘争』であることを隠して生きている僕にとっては、非暴力抵抗運動というのは割と好みの選択肢ではあります。
例えばルトワック先生なんかも、危機に際して何もしないのが最悪であって自発的降伏はそれよりはずっとマシな選択肢である、と仰っているわけだし。
あるいは少し前のシリア内戦の惨劇を思い返してみれば、本邦にも「そもそもアサドに挑んだのが悪い」という冷笑的ポジションの人たちは結構居たわけだし。少なくともあれだけの惨禍となった結果論として見れば、悲しいかなその意見には一定の説得力があるとすら言えるでしょう。
でも、あくまでジーン・シャープ先生のその論理とは「既存の支配者に対する抵抗運動」としての非暴力であって、であればこそ世界中の民主化運動の模範的解答の一つとして讃えられてきたわけで。
それを侵略戦争に対抗する手段としてのそれを援用するのであれば、つまり身も蓋もなく「まず最初にロシア降伏せよ」という意味でもある。
今朝の朝日新聞「耕論」に僕のインタビューが掲載されています。侵略者に攻められたときに、武力行使をするよりも、政治学者ジーン・シャープが提唱するように、国を挙げての組織的な非暴力抵抗を貫いた方が、国と民を守ることになるのではないかというのが全体的な主張です。https://t.co/5QFP2iR4Ri pic.twitter.com/19DXjAyZBa
— 想田和弘 最新作「精神0」DVD・最新刊「なぜ僕は瞑想するのか」発売開始 (@KazuhiroSoda) April 15, 2022
まずは(おおよそ無傷で)ロシアによってウクライナを支配されてから、独裁者プーチンに対する非暴力抵抗運動をしよう、なんて。
……でもそれってまわりくどくない?
はじめからロシア国民がプーチンに非暴力抵抗運動をすればいいのに。
つまり、ここで非常に面白いパラドックスというかジレンマなのは、侵略者であるプーチンのお膝元であるロシア国民がそれをやって成功しているのであれば、そもそもこの戦争は起きなかったはずなんですよ。
ロシアで消える反戦の声、沈黙の陰で広がる恐怖心 - WSJ
ロシア街角にリボン出現...規制下の反戦デモ、創意で当局かわす|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
反戦派のロシア人、自宅に脅迫相次ぐ ウクライナ侵攻 - BBCニュース
そして、現状のロシア社会の「非暴力的な」「反戦運動」を見る限り、それがどれだけ成果を挙げているのかと言えば……。
逆説的に、そうした非暴力なデモやサボタージュといった手法が概ね通用すると言っていいのがアメリカやヨーロッパといった欧米諸国でもあるわけで。まぁ日本もそっちに入れていいんじゃないかな。
もし侵略者がアメリカやヨーロッパ諸国であれば、確かにそうすればそうすればいいんですよ。
でもプーチンのロシアは絶対にそれと同列にはできないでしょう。
もしくはロシア国民はプーチン独裁と侵略戦争に賛成しているので、そもそも抵抗していないのだというポジションなのかな?
まぁそれだったら賛成はしないけれども理解はできます。ロシア国民は邪悪であるという過激なネトウヨの主張みたいですけど。
こうしたロシアからのニュースを見ているのにも関わらず『国を挙げての組織的な非暴力抵抗』もう一度やれというのはちょっと残酷すぎるよね。
何より以前は同じソ連という共同体に属していたウクライナの彼ら彼女らが、その支配されることで変わるだろう政治社会という選択肢を選ばなかったというのは、まぁこれ以上ないほど示唆的であります
結局、今回の「ウクライナ危機」を前提とした非暴力平和論で一番致命的なのは、ジーン・シャープ先生の言うような『独裁者に抵抗する手段としての非暴力抵抗』を言うべきなのはまずロシアの方であって、それを先にウクライナに提案してしまってはそもそも主客転倒しているんですよ。
身も蓋もなく言えば、現状のウクライナ危機とは「既に(ここ重要)」ロシアの非暴力抵抗の民主化運動が失敗した帰結である。
一度既に失敗している戦略をもう一度やれというのは、当事者がその微かな希望に縋ってやるならともかく、某極東の島国に住んでいるような元府知事なんかのようにまったくの第三者がそれを主張するのはこれ以上ないほど残酷だよね。
偽善どころか露悪的ですらあります。
おそらく日本の平和論としても、我々が侵略される際も国内的な非暴力抵抗運動が失敗したどこかの国によって侵略されるんじゃないかな。
そして、おそらくそこでも今回のロシアの構図と同じように、非暴力は暴力によって弾圧されてしまうんじゃないかな。
ということでジーン・シャープ先生の主張はあくまで『国内的な民主化運動』として素晴らしいのであって、独裁国家による侵略戦争の抵抗手段として持ち出すのはあまり効果的ではないかと個人的には愚行致しますけども、
みなさんはいかがお考えでしょうか?